「愛してる」



この言葉の意味を人はどんな言葉で説明するのか?



俺が「愛してる」を説明するなら、相手の喜ぶ事をし続ける事と答える。


とにかく相手のしてほしい事、喜びそうな事をするだけだ。そうやって今まで生きて来たし、それ以外の方法を俺は知らない。



しかし、頭の中が綿菓子みたいにホワンホワンしてるロマンチストが「愛してる」を説明するなら、



「愛は与えるだけではダメ!突き放す事も必要、遠い空の上から見守るだけの愛もある。愛こそ大気圏。大気圏ラブ!」



こんな事が言えるのは、愛のエベレストの頂上に登り慣れてる人が言えることだ。ネパール人で登山ガイドをしてるカミ・リタ・シェルパさんはエベレストの頂上に27回も登ってるが、俺なんかは途中で高山病になり、いつも断念だ、愛のエベレストの頂上の場所さえ把握出来てない。



俺が登ったと思ってる愛の頂上は徳島県の日本一低い山と言われる弁天山ぐらいだ。標高6.1メートル…


マイクロバスの長さぐらいの標高しかない。



俺はこのぐらいの愛の山に登って、



「愛とは与え続けることだぁーー!」



と、自己陶酔しながら叫んでるに過ぎない。



古代ギリシアの学者アリストテレスは、



「愛は求めるものではなく与えるもの」



こんな言葉を残してる。



だったら、俺は何が足りなくてダメなのか?



それは、与えた後で愚痴愚痴言ってることだ。自分はこんな事をしましたよ、こんな思いでやってあげてましたよ、本当に心から助けたいと思ってましたよ。


やったよ、やってあげましたよ、ではないのだ。後から恩着せがましく言うなという事だ。その時は何も言わず、後からも何も言わず相手に与え続けるだけ。それこそが本物の「愛してる」ということではないのか?


しかし、これは辛い。辛いと思ってる時点で本物の「愛してる」ではないのだが、相手から何も感謝されず、俺のしてる事を当たり前だと思ってるような態度を相手からされると、ついつい言葉に出してアピールはしたくなる。


しかし、我慢だ。本物の「愛してる」マスターになるために、ここは我慢だ。


ならば、これはどうだ!さらに相手に与えるだけの連続攻撃だ。



借金助ける、飯奢る、プレゼント、飯奢る、車買ってあげる、プレゼント、貢ぐ、貢ぐ、貢ぐ、現金そのまま渡す、渡す、渡す、渡す、スッカラカン…



ここまで人に与えても、後から愚痴も文句も言わずにひっそりと最後を迎える人生…



これが、本物の「愛してる」ということなのか?



これでは、あまりにも報われない。相手は何も思ってないのに、こんな「愛してる」があっていいのか?



自分の気持ちだけで完結する事が「愛してる」ということなんだろうか?



他の人は「愛してる」をどんな風に説明してるのか?




「愛情には1つの法則しかない。それは愛する人を幸福にすることだ」




これはフランスの作家、スタンダールの言葉だ。これは分りやすい。相手にも周りにも分かりやすい「愛してる」だと思う。




「愛はお互いに見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである」




これもフランスの作家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの言葉だ。


これは俺の解釈だが「愛してる」を時間経過も込みで表してると思った。最初はお互いが見つめ合って愛が始まり、そして、長く愛を続けるにはお互いが同じ方向を向き、同じ目的を持つことが必要だと言ってるのだと思う。この説明も納得出来る。




「君が100歳まで生きるなら、僕は君が亡くなる前日まで生きたいな。そうすれば君なしで生きなくて済むんだから」




これはイギリスの児童文学者、A・A・ミルンの「くまのプーさん」での言葉だが、これは本当に自分本位の「愛してる」だと思う。じゃあ、自分が死んだ後の相手はどうなる?自分の事しか考えてない「愛してる」だと思う。自己愛しか感じない。




「愛とは、大勢の中からたった1人の男なり女なりを選び、ほかの人を決して顧みないことなのです」




これはロシアの作家、レフ・ニコラエヴィチ・トルストイの言葉だ。これは本質だと思う。映画「天気の子」のラストが賛否両論を巻き起こしていたが、愛する人だけが側にいるだけでいいと思うのは、隠しようもない本心だと思うし、これこそが「愛してる」の本質なのかも知れない。



しかし、こうやって過去の人の言葉を調べていると「愛してる」の本当の意味は1人だけの思いではないと思った。



それは、自分だけの思いだけじゃなくて、愛されてる人間も相手の愛に気付いて、言葉と態度で相手に愛を表すことで、初めて「愛してる」が完成するのではないか?



女性がデートの時に一生懸命にオシャレして現れたら、



「髪型可愛いね。時間かけて準備して来てくれてありがとう」



男性が高くはないけど精一杯のプレゼントを渡してくれたら、



「本当にプレゼントありがとう。私のことを考えて準備してくれたことが嬉しいよ」



こんな言葉でいいんだ。



妻が早起きしてお弁当作ってくれたら、



「いつもお弁当ありがとう。体調悪い時は無理しなくていいからね」



旦那さんが仕事から帰ったら、



「いつもご苦労さま。ご飯出来てるよ」



そこで、すかさず旦那さんはこう言う。



「いつも美味しいご飯の準備ありがとう。たまには簡単な食事でもいいよ」



そう「愛してる」とはお互いの愛の言葉と態度のラリーだ。返し返され愛し愛されだ。



どっちが先に愛情に気付いたとか順番とかはないんだ、気付いた方が愛を受け止め、そして言葉と態度で愛を打ち返す。



卓球の現代最強のカットマンと言われる佐藤瞳選手が2017年カタールオープン女子シングルス一回戦で、リー・ジエ選手(オランダ)と繰り広げたラリーの回数はなんと766回だ。これは現代卓球最高ラリーに認定されてる。



「愛してる」の愛のラリーはこれより遥かに長く続けなきゃならない。



だからと言って、大げさな言葉と態度でデコレーションする必要はない。



ちょっとした言葉と態度でいいんだ。



人は愛する人から分かってもらうだけでいいんだ。



なんなら、言葉は無くても手を少し握るだけでもいいかも知れない。



心で「いつもありがとう」と見つめるだけでもいいかも知れない。




「愛してる」




とは、相手と一緒に作るもの。



だから、相手の愛に気付いて嬉しかったら、自分が言ってほしい言葉と態度で表せばいいだけだ。




「愛してる」




とは、簡単なことだった。