2月11日は建国記念日だったか。
俺は愛国者とまでは言えないけど、やはり先人が作ってくれた日本という国、今の平和は本当にありがたいと思っている。
俺は何もしてないのに毎日当たり前のように日本の平和を味わってる。ただただ日本に生まれただけで、この豊かな文化と平和をミツバチが花の蜜を吸うがごとくチューチュー吸って生きてるだけだ。
俺が海外の戦争をしてる地域にでも生まれ落ちたとしたら、とっくの昔に死んでるだろう。それも散々こき使われ、屈辱的な扱いを受けた上での絶命だろうな。
この平和な日本でさえ、自分の居場所は実家にしかないわけだから、生きるか死ぬかの競争をしてる海外なら、とても今の年齢まで生き残ってるとは思えない。
本当に日本に産み落としてくれた両親に感謝だ。
実家は建ってから何十年も経ってるが、本当にこんな田舎に立派な家を建てたもんだと、いつも感心する。
田舎だから、稼げる仕事もないのだ。仕事があったとしても安っすい安っすい給料しかもらえない。それなのにこんな家を建てれるということは、コツコツと積み重ねた結果だ。本当に尊敬する。
母親の実家は石屋の商売をしてたみたいで、裕福だったらしいが、父親に嫁いだら貧乏でビックリしたと言っていた。さらに父親は酒飲んだら文句ばかりを言う人間だったから、なおさら苦労の連続だ。
しかし、母親は耐えに耐えて、父親と共に立派な家をこんな山奥に建てた。一軒だけじゃなく、祖母たちの家も建てて、大きな屋根付きの車庫も建ててる。この家が建った時を覚えてるが、この場所は元は田んぼだったのだ。
そこを重機で均して家を建てたのだ。
まさに開拓者。
しかも、家の中の廊下は今だにピカピカだ。なぜなら、母親が毎日のように磨いてるからだ。ここもコツコツと毎日の積み重ねだ。
コツコツと続けるのは、その日その日には目に見えて結果なんか分からないけど、積み重ねることで、後になってハッキリとした結果として分かるものだ。
それが家が建ってから何十年と経った今だ。今だに家の中の廊下や柱はピカピカだ。
母親が毎日毎日、布で磨いてきたからだ。
この母親がいなくなったら、この家はおしまいだと思う。
父親は何もしないし、どこに何があるかも分からない。母親が先にいなくなったら、家の中はとんでもない事になるだろう。
母親もそれが分かっているからか、
「お父さんをなんとしても先に見送る!」
そんな熱い決意を俺に語ってた。
俺はその当時の出来る事を先延ばしにしたからこそ、今の人生になってる。
今思えば、あの時にこうしてれば…と思うことは数え切れないほどあるが、その時はそれがいいと思ったのである。その時はその判断で間違いないと。
20代の時は毎年100万以上は貯蓄をしてたし、投資を100万から始めて1000万近くまで増やしてたが、人を救うために一旦投資を中止したら、そこから転落人生か始まった。投資をあのまま続けてたらビットコインも間違いなく早い段階で買ってたはずだった。
その当時は話題になったものは、とにかく始めるてみる!をモットーとしてたからだ。
しかし、今はほぼ無一文となってしまった。
父親や母親のように俺には後に残る財産が何もない。
何もないどころか、両親が作った財産を何の努力もせずに受け継ごうとしてる。まるで泥棒だ。
しかし、考えてみたら、先人が作った素晴らしい考えや財産を後世の人間が受け継ぐことは悪いことではない。この日本だって、そうやって受け継いだからこその今の便利な世の中だったり、平和だったりするのだ。
しかし、俺は両親の思いを本当に受け継ぐことが出来る人間なのか?
とても、そうは思えない。
俺がこの家や土地を受け継いだとしても、上手く活かせるとは思えない。もちろん、感謝の気持ちはある。この地域の自然の美しさも、気づくのに遅くはなったが、今は十分に分かってる。
しかし、俺には積み重ねて来たものがないのだ。何もないから、無一文で財産も何もない。自分ではなんの価値もない人生であり、人間だと思ってる。
では、生きる価値もないのか?
いや、こんな俺でも今でも父や母は宝物のように俺を大事にしてくれてる。自分でも恥ずかしくなるほど、過保護にしてくれてる。
それなのに、俺には誇れる生きてきた歴史、築き上げた誇れる歴史が何もないのだ。
しかし、俺とは逆で毎日の積み重ねで、日本で名司会者になったタモリさんはこんな事を言ってる。
「人間、行き当たりバッタリが一番ですよ」
「人間にとって一番恥ずかしいことは立派になることです」
タモリさんにとっては過去を大事にし、未来を夢見るような自分史は意味がないのだ。現在を常に肯定していく。だから「笑っていいとも!」が30年以上続いた理由に「反省しないこと」と言ったのだ。
タモリさんの生みの親とも言える赤塚不二夫先生の作品「天才バカボン」のパパの名ゼリフ、
「これでいいのだ!」
これは、すなわち全てをありのままに受け入れるという悟りの境地をあらわしてる言葉だ。
赤塚不二夫先生の名作「天才バカボン」のバカボンは「薄伽梵(ばぎゃぼん)」と仏に由来してるとも言われてるのだ。
そしてタモリさんは赤塚不二夫先生の告別式の弔辞でこう言った。
「あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と」
そして、最後、タモリさんはこう言うのだ。
「赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私も、あなたの数多くの作品の一つです」
俺は何も築き上げることは出来ず、この素晴らしい家と土地と豊かな自然を受け継ぐことになった。
そして、この建国記念日を迎えた日にこう思うのだ。
「父ちゃん、母ちゃん、本当にお世話になりました。ありがとうございます。このジョージも、あなたたちの数多くの作品の一つです。でも、この財産、喰い潰したらごめんね」
俺も赤塚先生を見習って、過去を振り返らず全てをありのままに受け入れて、現在を生きて行く!
「これでいいのだ!」と。