吉野 一道

11月5日 9:08 · 

『 三人の妻 改訂』
(1) 死は誰にでもやってくる。
当たり前の事なのに誰もが忌み嫌う。
ホテルや病院には4号室がない。
しかし、やってくるものはやってくる。
釈迦はすべての人が目をそむける「死という現実」を以下の例え話で教えています。

(2) ある時、ある場所で、金持ちの男が三人の妻とともに楽しい日々を過ごしていた。
一号夫人を最も可愛がり、寒いと言えば労わり、暑いと言えば心配し、贅沢の限りを尽くさせ、一度たりとも彼女の機嫌を損うことはなかった。
二号夫人は一号夫人程ではないにしても、苦労して他人と争ってまで手に入れたので、いつも自分の側において大切にした。
三号夫人は淋しい時や悲しい時や困った時に逢って楽しむ関係だった。

(3) やがて、男は不治の病にかかった。
刻々と迫りくる死の影に怯えた男は、一号夫人を呼んで心中の淋しさを訴えた。
そして、死出の旅の同道を懇願した。
ところが、「死の旅の道連れだけはお受けすることはできません」とすげない返事をされ、男は絶望の渕に突き落とされた。
しかし、淋しさに耐えられない男は、恥を忍んで二号夫人に頼んだ。
「貴方があれ程可愛がっていた一号さんさえ、いやだとおっしゃったのでしょう。それなら、私もごめんです。そもそも貴方が私を求めたのは貴方の勝手です。私から頼んだ訳ではありません」
二号夫人の返事も冷たいものだった。
男は藁にもすがる気持ちで、三号夫人にお願いした。
「日頃の御恩は決して忘れてはいませんから、村はずれまでは同道致します。しかし、その後はどうか堪忍して下さいませ」と突き放されてしまった。
まもなく、男は一人で死んでいった。

(4) これは何を例えているのでしょうか。
・不治の病にかかった男は私たちすべての人のこと。
・一号夫人は肉体のこと。
私たちは自分の体を大事にしますが、死んでいくときは焼いて灰にしなければなりません。
・二号夫人はお金や財産や地位や名誉のこと。
どれだけお金があっても、どれだけ地位や名誉があっても、死んでいくときには持っていくことはできません。
・三号夫人は家族友人兄弟姉妹のこと。
どんなに愛している家族でも、死んでいくときは別れなければなりません。

(5) 一人で生まれて一人で死んでいく。
全ての者と別れ、全ての物を捨てて、一人で死んでいく。
「無常を観ずるは菩提心の一なり」
無常を見つめることは苦しいことだが、これが本当の幸せへの第一歩。
全てのものが滅びゆくなかで、滅びないものがあることを教えた人がいる。
それが釈迦だと言われています。

★菩提とは悟りの智慧。
菩提心とは悟りに向かう心。
(ウィキペディアより)

 

 

編集後記 一人で生まれて一人で死んでいく。

 

 

サイバー空間情報局。   発行者 感謝教教祖 高澤 光夫