吉野 敏明のFB記事から 2020/07/22
【よしりん講話 言霊を考える =あまりにも多い、自分を大切にしない人=】創造主によって言葉という便利なものを我々人類だけに与えられています。 とくに、日本語には言霊があると言われています。それは何のことはない、今の日本語と日本語の元になった大和言葉が言霊その物だからです。イザナミ・イザナギのミとキは、それぞれ男性・女性と言いう意味です。いざなう男、いざなう女という内在する意味があるのです。我々日本人は、数千年かけて漢語などの外来の言語が混ざって現代語になった今の日本語に、大和言葉が時々でてくるので言霊だというのです。我々日本人が潜在意識で言葉に意味があることが分かっているので、日本語には言霊がある、と一々言われなくても無意識に理解しているのです。さて、霊的なことはさておき、現実問題として積極的に表現された言葉と、消極的に表現された言葉では、我々が受ける潜在意識は全く異なった反応をします。例えばお前はバカだ、バカだ、バカだ、と言われて育った子どもと、あなたは優秀である、優秀である、優秀である、と褒められた子供では、どのような幼少期を過ごすかは歴然としています。ですから親はそれこそ無意識に、より良い環境の場所で子供を育てようとするのです。
言葉が言霊である良い例があります。
今日は不愉快だとか、頭が痛いとか、熱があるなどと言っていたら本当に具合が悪くなって病気は治りません。
中村天風の著書『運命を拓く』にこんな一節があります。中村天風は、人生に関する学問を相当研究し、そしてインドの山中のシャーマンに弟子につきました。そのインドのヘプチア人の師匠から、体調の悪い中村天風が受けた言葉です。
「師匠、しかし本当に具合が悪い時に具合が悪いとは言ってはいけないのでしょうか?」
「具合が悪い時に具合が悪いと言って治るか?」
「いや、治りはしませんけども、痛い時は痛いと言います。」
「いや痛い時に痛いというのがいけないんじゃないのだ。痛い時は痛い、痒い時は痒い、眠い時は眠い、というそれは当たり前のこと。だから言ってもいいとは限らない。重要なのはそういった後に、それから後自分が何を考えなければならないかだ。」
「でも、普通の人間は痛かったら痛い、眠かったら眠い、痒かったら痒いと言うでしょう?」
「私は普通の人間のことを言ってるんではない。わざわざインドという俺の所にまで来てこのように毎日毎日真理を探究している以上、お前は普通の人間ではないのだ。 普通の人間は、お前のように毎日真実と取り組んで貴重な時間を過ごしてはいない。普通の人間は、毎日毎日くだらない人事 、世間ごとに忙しく働き、 やたらとその言葉を汚し実に自分並べに他人を悪くするような言葉のみを始終使っているのだ。それは凡人の言うことだ。 真理を追求している人間がそういう考え方を持つことは非常に恥ずかしいことで自覚しなければいけない。結局端的に自己を毎日侮辱していることになっているじゃないか。もう少し俺はお前を賢明だと思ったがあまり賢明ではないな…」
私の従業員に、いつも「すいません」と言いながら物事をする人がいました。
例えば治療の時に「先生ライト!」と言ってライトを合わせるように言うと、
『すいません』
と言ってライト合わせる、あるいは「早くバキュームで吸引して」と言うと、
「あ、すいません』
と言うのです。私がこの『すいません』ということはやめたほうがいいよ、あなたは何も悪いことをしているのではない、私が言っているのは業務命令であって、恫喝ではないのだ 、と言うと『はい、すいません気をつけます』 と言いました。
この人は、人にすいませんということによって、自分を大切にしていないのです。常に自分に言い訳を作っているのです。
どうように『お願いします』と言う人も多いです。
コピーをしてください、お茶を出してください、電話してください、を
『コピーお願いします』『お茶をおねがいします』『電話おねがいします』
コピーやお茶にお願いして何が起こるのでしょう?これも、潜在意識で『お願いするから、わたしに頼まないでください』という言霊になっているのです。
勝手にすみませんとか、あっとか、ごめんなさい、などと勝手な接頭語をつけている人があまりにも多いです。
こうすることで、自分をどんどん卑下し、弱い人間に追い詰めて言っているのです。
頑張りたいと思いますとか、次からはそうなるようにしますとか、気をつけるようにします、という婉曲表現をする人も多いですが、要するに『私は頑張りますけど、結果、絶対にやりません』と宣言してるのも同等です 。
もし、本当にする気があるのなら『がんばります』ではなく『やります』です。
『気を付けるようにします』ではなく『間違えません』です。
このように、普通の人間は罪をおかすつもりがなくとも、小さな言い訳、小さな嘘という罪を口癖でしています。
イエスはみずからが死ぬことで、罪を犯した人間が受けるべき罰を、身代わりになって受けたとされています。
そのおかげで人間は、罪から解放されたのだといいます。
しかし、この世に警察のご厄介になるような罪を犯す人はそう多くはありません。
しかしながら、先に述べたように、無意識で言い訳や小さな嘘を口癖でしているのです。
自分は罪など犯していないのに、自分の身代わりに死ぬなどといわれても、重苦しいだけでよけいなお節介だ、とおもいますが、イエスはその小さな罪すら、身代わりになります、というのです。
私は言霊やキリストなど、宗教の事を言っているのではありません 。
大切なことは自分で自分を追い込まない、各々が言葉を大切にして自分も大切にして欲しい、ということです。
編集後記 言葉は思う以上に効果を与える。言霊の意味とは
サイバー空間情報局。 発行者 感謝教教祖 高澤 光夫
