「中杉 弘の徒然日記」から

 

2020年03月25日

人間の探究 1500 境智冥合(きょうちみょうごう)②

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※最初に仏に成られた方のことを「本仏」と言うのです。それは、「誰かに教わって本仏になったのか?」と言うのと違います。自受用報身如来です。日蓮大聖人様は、自ら悟られてしまったのです。

人間の探究 1500 境智冥合(きょうちみょうごう)②

 仏道修行をしてくると、ここで勇猛精進の教えが生きて来るのです。自分の境に対して、何を求めて勇猛なのでしょうか? 自分の欲を満足させるための勇猛なのでしょうか? 「自分の欲に向かって、勇ましく、猛るが如く」なのがトランプです。
 トランプは、「アメリカ大統領になるのだ!」という猛烈な勇猛です。これに取り組んでいくので、大統領はますますその世界に入っていくのです。我々は違います。お金儲けのために必死になって勇猛精進して、「西原商会を造ろう」などというものではありません。
 勇猛精進には、仏道修行の勇猛精進と、欲のための勇猛精進が2つあるのです。もっと言うと、日常生活も一生懸命やるのです。それで貴方の世界を切り開いていくのです。「仏道修行により薄暗い未来を切り開いて、希望に燃えた明るい未来のために勇猛精進していく」というのが正しいのです。
 もっと勇猛精進していくものがあるのです。衆生はお金儲けのため、芸術のため、権力のためなど、いろんな物のために勇猛していくのですが、仏道に勇猛していかなければいけません。
 自分の欲ばかり求めて芸能界やスポーツや政治ばかり夢中になって勇猛精進していても、一番肝心な人間をつくっていく根源の原理を明らかにしていく勇猛精進でないといけません。それ以外に勇猛精進している連中は、化け物なのです。
 必ず勇と猛の両方が必要です。「貴方は何に勇猛していくのか?」と聞くと、普通の人は「私はスポーツに勇猛していく」と答えるのです。違うでしょう。スポーツに勇猛精進するなどないのです。そのような仏教の言葉を自分の欲望のために使ってもダメなのです。
 元横綱の貴乃花、若乃花もロクな人生ではありません。相撲道に精進して横綱まで極めて、またさらに極めようとしても、挫折してしまうのです。大事なことは、仏道に勇猛精進していくことです。何故かというと、仏道に勇猛精進すれば、仏教の全てがわかります。相撲道をいくら極めても、相撲のことしかわかりません。
上手く言ったもので、ヤクザ者のことを極道というのです。ヤクザは極道に勇猛精進していくのです。そんなものをいくらやっても、殺されるか、ロクデモナイことになるだけです。
大事なことは「仏教とは何か?」ということに勇猛精進していくことです。「何に頑張るのか?」というと、日寛上人は、「敢んで為すを勇と言い、智を竭(つく)すを猛と言う」(依義判文抄)と言われています。この姿勢で仏道修行をやるのです。何をするのかというと、仏教の智慧を求めて、わかっていかなければいけません。今、僕が教えているのは、その方面です。
 このようにわかっていくのです。どんどんわかっていくのです。宇宙の始まりもわかってくるのです。「宇宙の始まりには何があったのか?」というと、自分があったのです。その自分が現れて境を造っていくのです。境というものは、自分によって現れてくるのだから、「世界の始めに何があったのか?」というと、貴方があったのです。
 始めは何もなかったのです。風が吹くたびに宇宙が変わるのです。それで、違う世界が出てくるのです。違う世界が出てきて、貴方がいるのではありません。貴方が違う世界を創り上げたのです。
 貴方の因によって世界はどんどん変わるのです。それで、今日も貴方はいるのです。偶然にここにいて今、貴方は生きているというわけではありません。宇宙の始めから全て連続的につながっているのです。それでは困ってしまうのです。普通の人は自分の正体を知らないから、無明のままでよいのです。
お釈迦様はどのような人なのかというと、そのことに疑問を抱いた人です。「己の正体とは一体、何だろうか?」と考えられたのです。人間には境もあり、智もあります。「智が先か、境が先か?」ということを考えて、「ああそうか、宇宙の始めから私はいるのだな」ということがわかったのです。
 お釈迦様は、自分の前世、そのまた前世、その前の前世というように、何百回の前世を思いだしたのです。そこが普通の人とは違います。「この前世の前は、どのような人に生まれたのか?」「その前はどのような人だったのか?」と生まれ変わって、生まれ変わって、生まれ変わって、今ここにいて「そのことがわかった!」と言ったのが、お釈迦様のお悟りです。
 では、貴方はいつまでいるのでしょうか? 貴方は永遠にいるのです。永遠に生まれ続けていくのが真実なのです。これからの人生も貴方が見て、貴方が創っていくのです。客観世界があるわけではありません。
 そこで、お釈迦様は「宇宙の始めの時に、私は悟ったのだ」とわかったのです。今、「悟った」ということは、宇宙の始めから悟っていたのです。
 お悟りになった主人公、貴方を仏にしてくれた主人公がいるのです。「私も凡夫で生まれて仏になったのですが、ずっと前に宇宙の根本の原理を悟って仏になっていたのです。その仏はどのような因によってなったのでしょうか?」ということです。
 これが本仏というのです。このように生命論をずっと見ていくと、日蓮大聖人様が本仏なのです。日蓮大聖人様は、ご自分のことを久遠元初自受用報身如来と言われたのです。久遠元始の昔、自受用報身如来は、私の正体を明らかにしたのです。そして、私は誰に教わったのかというと、師匠は誰もいません。自然に悟ったのです。
 日蓮大聖人様は、そのことがパッとわかってしまったから、弟子に対して教えてあげたのです。日蓮大聖人様は、「私の師匠はいません。弟子には師匠がいます。私が教えたのだから、貴方は仏になったのだろう」ということが言えるのです。
 日蓮大聖人様は、「私には師匠はいません。自然に自受用報身です。私とは何か? ああそうか、境智の二法だな」と悟られたのです。日蓮大聖人様に師匠はいません。だから、「本仏」と言うのです。
 最初に仏に成られた方のことを「本仏」と言うのです。それは、「誰かに教わって本仏になったのか?」と言うのと違います。自受用報身如来です。日蓮大聖人様は、自ら悟ってしまったのです。
それからお釈迦様が出てきたり、天台大師が出てきたり、伝教大師が出てきたり、様々な仏が出てきたのです。それらの仏は日蓮大聖人様を師匠として修行して、それぞれが悟ったのです。根本においての仏は南無妙法蓮華経なのです。

 

 

編集後記  仏の教えとは法華経とは?

 

サイバー空間情報局。   発行者 感謝教教祖 高澤 光夫