街並みや景観の形成は、その街の歴史変遷を物語ります。コンパクトシティの形成には「街」の歴史変遷というテイストが必要です。

また、立地適正化の目指すべき都市構造の視点(コンパクトシティの形成)とリンクして市街地主要路線における道路維持管理についても考える必要があります。

 

小川市街地における歴史・文化、小川のレガシィ(遺産)を次の世代に繋げる象徴的場所として、旧小川小跡地周辺地域再整備基本計画が令和4年3月にまとめられました。

令和4年3月にまとめられた旧小川小跡地周辺地域再整備基本計画のイメージ図

 

 

小川市街地は水運で開けた「街」です。

小川市街地の歴史変遷をたどる小川町史を紐解きますと、旧小川小学校跡地周辺は、鎌倉時代初期の御家人 小河次郎政平築城の「小河城」の記述から始まり、室町時代中期から筑波の小田家 家臣 園部氏居城後の「園部城」、1591年(天正19年)に園部城が佐竹氏に没収後、1594年(文禄3年)佐竹氏 家臣の茂木治良が入城、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いから2年後の1602年(慶長7年)戸沢政盛の小川城入場まで、鎌倉時代初期から戦国の世が閉じる約400年間にわたり御城としての変遷をたどっています。

江戸時代に入り1622年(元和8年)小川村が水戸藩領となってからは、水戸藩の御殿となり1624年(元和10年)小川御殿に常番を置き、小川河岸から江戸に2隻の米船を送ったのが小川における水運の始まりとされています。

1635年(寛永12年)頃に、水戸藩は馬を使っての輸送から水運に移行したとされ、経路は水戸から那珂川・涸沼川まで船で運び、そこから陸路で小川河岸へ。園部川から霞ヶ浦の内海を通り、利根川、江戸川から江戸へ至ったとのことです。1669年(寛文9年)に小川御殿の常番は小川運送方役所となり、小川の街は霞ケ浦から江戸への水戸藩水運の要所となり発展しました。

以来、水運が輸送手段の主流であった昭和初期頃まで小川河岸界隈は活気に溢れていたとのことです。

小川河岸のジオラマ模型は小美玉市立図書館・資料館に展示されています。現在の街並みに照らし合わせご覧ください。

小川河岸跡 (現・市営駐車場) 水神宮が祀られています

 

 

 

 

 

 

この水路が旧園部川の流れです

 

1803年(享和3年)運送方役所が上戸村(現・潮来市)に移転した後、1804年(文化元年)本間玄琢が医学研究の「小川稽医館」を創設、稽医館移転後に水戸弘道館の分校「小川郷校」となりました。

1864年(元治元年)天狗党の乱鎮圧のため幕府の命を受けた棚倉藩により小川郷校は襲撃され、附属する4棟を残し、焼失しています。

1874年(明治6年)小川郷校跡地に閑道小学校開校、明治8年に小川小学校と改称、そして、小川小学校は2019年(平成31年)145年間の歴史に幕を閉じ、小川小学校と橘小学校を統合した小川南小学校が赤身の台に誕生しました。

 

鎌倉時代から戦国時代における「御城」としての変遷、水戸藩の行政・教育機関「水運の運送方役所」、「医学の小川稽医館」、「水戸弘道館分校小川郷校」、そして、明治からの「小川小学校」としての変遷、これらの歴史変遷に見られるよう、この地が小川市街地の歴史や文化、教育の中心であったことが伺えます。

 

また、旧小川小学校跡地周辺には、小川鎮守の素鵞神社が隣接するとともに、小美玉市立図書館・資料館などの文教施設があります。

 

 

 

 

本間玄琢の生家は現在「やすらぎの里小川」に移築されています

 

 

中世の小川の街並み 第5回戸沢サミットin小美玉(2017年7月22日)資料

この地図に照らし合わせながら散策するのも面白いと思います。

本田町 弁天様

坂を上ると旧小川小学校や素鵞神社へ

本田町五差路付近

 

 

川岸町方面へ 市道の維持管理が課題 課題解決へ向け旧小川小学校周辺と小川河岸跡の歴史変遷を活かしながら、動線としての一体的な整備と維持管理を!

 

 

左手は、旧小川河岸跡

旧園部川の名残り

大町 台之坊入口付近

 

左手に天聖寺参道  先に進むと右手に 小川鎮守 素鵞神社参道

江戸時代水運の発展に伴い水戸からの荷馬車が通る道として開けたとのことです

 

素鵞神社祇園祭7月21日 御神輿がお浜降り式(園部川)へ向かう道でもあります

 

小川中央十字路

旧園部川の名残り 橋の欄干跡

城下町の出口に付き鋭角に道が曲がっています

 

城下町の名残り 間口が狭く、奥行きが長い、通称;うなぎの寝床

横町の通り

大町・仲田宿町の通り

高台に旧小川小学校

現在の赤身地蔵尊からの小川の街 古い地図で言うと「星の宮」のあたり

 

小川市街地北部には、小美玉市医療センター、小美玉市役所小川総合支所、小美玉市消防本部・小川消防署、小川文化センターアピオスがあります。

小美玉市医療センター

地域公共交通

茨城空港~JR石岡駅の路線バス

小川市街地(市道小川0344号線~小川0756号線~田木谷5324号線)を縦断します

 

 

小美玉市役所小川総合支所、小美玉市消防本部・小川消防署・小川文化センターアピオス 

小美玉市立元気っ子幼稚園の通り

進行方向 本田町方面へ

 

 

小川市街地 

南部に位置する旧常陸小川駅のバスターミナル

国道355号線

 

 

コンパクトシティの形成(立地適正化の目指すべき都市構造)の視点から、市街地主要路線における道路維持管理の在り方について。

 

効率的な都市運営を図るため、立地適正化計画(平成31年3月)が策定をされています。一定の人口密度を維持し、生活サービス機能の適切な維持・誘導を図るための方針や生活サービス機能を維持する都市機能誘導区域において、徒歩や自転車といった人の流れを含め、公共交通ネットワークの形成に資する路線等の維持管理に対する優先度は高いと考えます。

 

コンパクトシティの形成に「街」の歴史変遷というテイストを加え、これとリンクしながら、小川市街地の再生への一助とするべく、旧小川小学校跡地周辺と小川河岸跡の動線における市道整備を含め、居住地域としての「住みよさ」・「暮らしやすさ」を追求していくべきと考えます。