古の昔から「時」を繋ぐ接点に「祭り」があります。「歴史、文化・伝統」を縦軸に、私たちが暮らす現代を横軸に見たとき、これが交わる接点が「祭り」です。
そして、今の時代に生きる私たちは、先達から教え、受け継いだものを、次の世代に繋ぐ使命があります。
令和五年 素鵞神社祇園祭が(7月20日~23日)斎行されました。コロナ禍に伴い、実に令和元年以来、四年ぶりの通常開催となりました。
※例大祭は令和二年~四年は拝殿にて例大祭が斎行されました(執り行われました)
素鵞神社の祇園祭は、一般に「小川の祇園(ぎおん)」として、地域の人々に親しまれている「お祭り」です。
當屋制度を柱とした御神輿の神事と年番屋臺や幌獅子による祭事、これらが融合一体となったお祭りで、期間中、小川の街はお祭り一色となります。
素鵞神社の社伝によりますと、『旧暦の六月一日・七日・十一日・十三日(新暦では七月十一日・十七日・二十一日・二十三日)の四日間に渡って執り行われたことから「四度のまつり(よどのまつり)」と称されております。このお祭りは創建の翌年、享禄三年(1530年)より今日まで約500年続く悠久のまつりであり、御神体を御神輿に移して、仮殿や氏子の町内を渡御する一連の神事が厳かに執り行われております。特に、當屋祭と呼ばれる神事は、前年の「御神籤式(ごしんせんしき)」という神聖な式により当番日が決定した四町(大町・横町・仲田宿町・旧上宿町)が受け持つことになっています。それぞれの當屋祭では、神様へのお供えとして、御神酒と水に浸した生米を擂鉢ですった「オシトギ」と、白米を蒸かした「オフカシ」そして、稲の穂に甘酒を絡めた「アマザケ」の三種の特殊神饌が創建に縁ある子孫の宮司と御供盛(おくもり)によって献上されます。この神事は、創建時から継承される古式であり、小美玉市無形民俗文化財指定の所以とされています。』
以下、現在の祇園祭(四度のまつり)について、素鵞神社ホームページの説明を基に令和五年素鵞神社祇園祭での一コマを折り込みながら書いてみたいと思います。
(令和五年は7月20日)
十一日祭(當屋注連)令和五年は横町
「宮司」、「御供盛」、「四軒の當屋」、「壇頭」の私邸に注連縄を飾り、宮司をはじめとする役員が祭礼の無事を祈願する神事です。
お供えもの 左下;「オシトギ」、右下;「アマザケ」、右上;「オフカシ」
御重に重ね、風呂敷に包みます。御重の上には「みご藁」、甘酒をみご藁に付けて宮司さんが神様にお供えをいたします。みご藁は12本、うるう年は13本と伺っております。
清祓式前に撮影しました
正面向かって、左側の注連縄が「當屋注連」、右側の注連縄が「八町注連縄」
清祓式から町内へ戻り、お祓いを受けた注連縄を付け當屋注連に向かいます。
横町の當屋注連
間もなく町内祭が始まります。
献立のお料理です。
横町の鰌(ドジョウ)汁です。
十七日祭(八町注連)令和五年は二本松町
各町内の境、神社入口、仮殿前、お浜降り入口、稲田姫神社前の十八ヶ所に注連飾を飾ることで九町内を清める神事です。
横町公民館入口の八町注連 十七日担当町の二本松町さんが立てました。
※現在では、十一日祭、十七日祭を合わせて注連清祓式(しめきよはらいしき)として斎行されています。
(令和五年は7月21日)
二十一日祭(お浜降り式)令和五年は坂上町
拝殿で執り行われる御神体を御神輿に移す「神幸祭(しんこうさい)」から始まり、御神輿は、神社から担当町内を渡御して町内に設えた御仮屋にお入りになって當屋祭が斎行され、その後、御神体が出現された縁ある園部川へ向かい、川の水でお清めをして「常若(とこわか)」の力を得る一連の神事です。夕刻には、祭庭に組み立てられた仮殿に御神輿は迎えられそこで一晩お泊りになります。
神幸祭が始まりました。正面右手に「御供盛」・「十一日當家(横町)」・「十七日當家(二本松町)」・「二十一日當家(坂上町)」・「二十三日當家(仲田宿町)」左手に総代長をはじめとする各町総代(※神幸祭のお写真は素鵞神社さんの撮影です)
神幸祭を終え、いよいよ四年ぶりに神様が御出社されます。初めに目指すは二十一日お當家さんの坂上町御仮屋
夏空 夏です 祭礼期間中に梅雨が明けました 夏空です
御仮屋に到着後、四當家で御神輿をみがきます。
二十一日當家祭が始まりました。
二十一日當家祭を終え、これより、直会(なおらい)お祝いの宴です。
御馳走です。鰌汁は各町さんで味付けに特徴があります。
総代さん方も、同じ御馳走をお當家さん宅でいただいています。
お浜降り式に向かうため園部川へ 坂下町さんを通過中です
横町に入りました。
園部川畔へ到着です。
園部川のお水を汲みます。
お浜降り式斎行のあと、園部川の御水を御神輿にかけ「神様」が英気を養います。
(令和五年は7月22日)
太々神楽祭(二十二日)
二十二日、御神輿は仮殿に留まり。各町の幌獅子や踊り屋臺をはじめ、大勢の方々が多数参拝に訪れます。また、午後二時と七時には各町の役員が参列のもと太々神楽祭が斎行され、巫女舞が奉納されます。
また、二十三日當家祭が仲田宿町にて斎行されます。
相町 本田町さんが来町です。
各町、御仮殿へのお宮参りを済ませ巡行が始まります。
二十三日當家祭です
御神体の分身である掛け軸にお供えをいたします。中央に宮司さんがお供えしたみごわ藁に付いた「アマザケ」、また、「オフカシ」、「オシトギ」は御供盛さんがお供えをします。
二十三日當家祭の直会の宴の御馳走です。
仲田宿町さんの鰌汁。
二十二日、二十三日と守横囃子の皆さんがお見えになりました。
橘吉也さんと一緒に写真を撮りました。
18時を過ぎ、パレードのため、各町が集合してきました。
九町で一番大きな川岸町さんの獅子です。
守横囃子
お囃子を撮っていたら、後ろから撮られていたの巻!
本田町さんがやってきました。
坂上町さん
令和五年祇園祭 年番町の坂下町さん。
パレードは年番町の坂下町さんから、横町、橋向町さん、川岸町さん、仲田宿町さん、本田町さん、二本松町さん、坂上町さん、年番の回り順で進みます。
年番町 坂下町さん
横町
橋向町さん
川岸町さん
仲田宿町さん
御仮殿付近からスタートしたパレードは、大町~仲田宿町~川岸町~橋向町~横町を通り、小川中央十字路 御仮殿付近へ戻ります。
本田町さんと二本松町さん
坂上町さん
本田町さんの獅子 横町の待機所では守横囃子
(令和五年は7月23日)
例大祭(二十三日)
例大祭は創建日である重祭であることから、お祭りの日程が金・土・日の変動制になった今日でも変わらず七月二十三日に斎行されます。
今年は金・土・日が21・22・23日のため御仮殿での例大祭が斎行できました。
二十三日祭(稲田姫祭)令和五年は仲田宿町
二十三日祭は「本ぎおん」とも称し、陽神様;素鵞神社に祀られる神様 素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、愛しい妃である陰神様;櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)に、年に一度だけ逢うことの出来る尊い神事が執り行われます。
また、御神輿の露払い役である榊神輿(さかきみこし)は、川岸町が受け持ち、先導神である猿田彦命(さるたひこのみこと)の面が付けられています。仮殿前では、荒々しく御榊を地面に叩き付けて、御神輿の通り道が清められます。
仮殿を出た後、陽神様;素戔嗚尊(すさのおのみこと)を乗せた御神輿は、陰神様;櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を祀った稲田姫神社の正面に据えられ神事が執り行われます。稲田姫祭を終えると、御神輿は本田町を皮切りに巡幸します。
お山入りの後、拝殿内において、御神体が本殿に還る「還幸祭(かんこうさい)が執り行われます。その後、御神籤式により翌年の當屋役割が決定され、祇園祭は幕を閉じます。
御榊が順路を清めます。
小川の街中にお泊りになられた御神体がご出発なされます。
一路、稲田姫祭へ向かいます。
神社境内へ到着いたしました。
これより、稲田姫祭(二十三日祭)が斎行されます。正面が素鵞神社本殿
右手に陽神;素戔嗚尊(すさのおのみこと)御神体を乗せた御神輿 左手に愛しい妃である陰神;櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を祀った稲田姫神社
年に一度だけ逢う尊い神事が稲田姫祭です。
陽神様;素戔嗚尊(すさのおのみこと)と愛しき妃である陰神様;櫛稲田姫(くしいなだひめのみこと)が、年に一度 二十三日祭(本ぎおん)でお逢いになられます。
稲田姫祭を終え、本田町から御神輿渡御へ入ります。
壇頭さん宅で御神籤式に使う籤をつくります。
二十三日夕方、最終日の巡幸に出ます。
横町の獅子は格好いい。横町の獅子は昭和十一年に新調した獅子です。歴史の重みを感じます。
お山入り前
お山入りです
御神輿は神社境内へお還りになられ、還幸祭(かんこうさい)が斎行されます。
還幸祭が終わり、来年、令和六年の当番町を決める御神籤式が執り行われます。籤を引く順番は、二十三日當家・二十一日當家・十七日當家・十一日當家の順となります。この御神籤式が終わると令和五年素鵞神社祇園祭は閉幕となります。皆様、大変お疲れ様でございました。(※御神籤式のお写真は素鵞神社さんの撮影です)