お久しぶりです。

相変わらず元気にはできています!


が、職場の異動があり慣れない仕事かつ苦手な仕事で。



自分自身と向き合う事が、何よりも辛いことかもしれないと思う今日この頃。


能力、もっと言うとパーソナリティ。


この辺りについても、気持ちの整理をしたくまた書きたい。





闘病を経験したから、どんなことでも耐えられるなんて、そんなわけは無い。






苦しみはそれぞれ。


闘病は、死という究極の恐怖と、心身の消耗と向き合う日々だが、そこに責任は存在しなかった。


がん患者であるという大きな免罪符。
何に対しても責任を負わない日々でもあった。




働くということは、大変なことだ。




就労において、他者との関わりにおいて初めて浮き彫りになる「自分自身」。



自己肯定感の低さ、消極的内省は事態を好転させない。




闘病経験は、HSPな気質を加速させたと思う。




優しくある事が、残された価値のように思える。




でも焦るとそうあれない時もある。

元々デリカシーも無い。絶望的だ笑





でも誰かのくれる優しさが、たくさん沁み渡るようになった。



冷静に、落ち着いて。


前を向くことを意識して。













下書きが残っていたので、闘病記録の続きをば少しずつ。。。



手術の前日から。




手術前日の夜はほとんど寝られない、、、かと思いきや、数時間は寝られたような記憶。


ひととおり恐怖し、焦り。


一周まわったような気持ちで、疲労が勝ったのか。





眠りに落ちる前は、病気について調べたりもしたと思う。



手術後の自分の姿は、どうなるのだろうか。




想像がつかないながらも




最悪の想像をしながら、その現実を受け入れるほかなかった。









当日を迎え。



手術着へ着替えて、変な帽子を被り。







ベッドごと、手術室へ運ばれていった。






手術室までの緩やかな登り坂の記憶だけはっきりしている。





なんでこんなことに。



そんな思いが、頭をよぎった。







手術室へ入る。ドラマで見るようなモノとはまったく異なり、明るく、たくさんの器具で散らかった部屋。





こ、こんな感じかぁ






手術台の上に移動。




仰向けで寝転がる。なぜか膝は立てる。





いろんな器具を装着。





当然、全身麻酔。


マスクを装着し、「何かあれば手をあげて教えて」と言われる。







急に鼻に刺すような感覚!(匂いはなかったと思う)



呼吸が乱れ、やば!っと思って手をあげようとしたところまでは覚えてる。






・・・







薄っすら目が覚める。病室。





滋賀から駆けつけてくれた叔母といとこが見えた。



「無事に終わって良かった。そしたら帰るわ」




なんだ、もう帰るのか。お礼を言いたいのに。


半覚醒状態なのか、動けなかった。




その後に主治医が入ってきて、両親に説明をしていた。



「取った腫瘍は、リンゴをパカッと割ったような〜」




そんなのが聞こえた。白くて、スカスカでなく中もしっかり詰まってたということだろうか。





そのまま、また意識を失った。









しっかり目覚めてからの記憶は逆にあまりないけど、上顎がしっかり残っていたことには安堵した。






そこからは、リハビリに入っていく。口内を大きく切除したので口が全く開かないのだ。


次回からはリハビリ編!






「遠き山に日は落ちて」

祖母の家の防災無線で17時に流れる曲。

今でも流れてるのかは分からない。




この曲を聴くと、なんだか切なく、寂しい気持ちになる。




小学生のころ。夏休みは遠方のいとこ達が祖母の家に帰ってきていて、よく一緒に遊んだ。



このチャイムが鳴ると、もう帰る時間。



母が迎えに来て、自分の家へ帰る。





いとこ達は、盆が終わると帰っていく。最終日のこのチャイムは、特に寂しかった。



いとこ達が大好きで、寂しくて泣いたりもしてた笑




次はお正月かなぁって。







偶然、この曲を聴く機会があった。ちくわを笛にして吹いてる人の演奏だったけど笑



曲名も知らなかった曲。それでもやっぱり心に響いた。





先に書いた思い出無しでも刺さるメロディーで、日本の曲だと思っていたらドヴォルザーク作曲の「家路」という曲に歌詞をあてたものらしい。






家路、かぁ。





作曲者の意図を知るわけではないけど




その日を過ごして。


良かった事も悪かった事もあって。


その思い出とともに、家路につく。




その日の、終わりの曲。



肯定も否定もしないような曲。



そう感じる。





今になっても、心に響く。






この曲とともに、いろんな思い出を振り返ると





涙がでる笑





全部きっと、いい思い出。






ありがとうね。










ちくわのおっさんにもついでに感謝。


You play with the cards you’re dealt.. Whatever that means

配られたカードで勝負するのさ。
それがどういう意味であれ。





スヌーピーが言ったらしい言葉。




人生を、ポーカーか何かになぞらえたものだろうか。






人は、生まれる環境を選ぶことができない。





先天的なものであるなら、生まれ持った自身の能力なんかも含めて。






恵まれている、恵まれていない、の話をしたい訳ではなく。






自分自身の持っているもので、置かれた環境で、生きていくしかない。







自分の意思ではどうにもならない事も、配られたカードといえるなら






この病気も、言ってしまえばそうか。







失ったものも少なくない。





器用に世渡りをする能力もない。






だけど、これでやっていくしかない。








それは自分だけではなく。皆が、それぞれ抱えているものがある。













それぞれが、それぞれの環境で、生まれ持ったもので




一生懸命に頑張っている姿に触れたとき。




負けてられないな、なんて思う。






でも




何かを、目指さなくても。何者にもなれなくても。




自分の出来ることを、精一杯頑張れたら





それで100点貰ってもいいと思う。





はなまる貰ってもいいと思う。







、、、くれないかなぁ笑







明日も、仕事だ。




病気になってから、の話ね。






ガンの宣告はあまりにもショッキングだったけど




焦りや恐怖の感情が強く。




涙なんか流れない




これからの不安も



自身に迫る死の恐怖も



ショックで打ちのめされている自分には、



齢20の自分には、輪郭を持たず。




混乱と思考停止と




その中でただ漠然と、全てから遠ざかっていくような




帰宅してからも、そんな気持ちでいた。




眠る気にもならず



実家のリビングのこたつで、1人で夜の11時を迎えたころ。






2階の寝室からオカン登場。






「寒いだろ、これ着なさい!」





投げて渡されたのは、母が寝るときに普段着ているふわふわの上着。





さっきまで着てたのか、あったかい笑






いや、上着なんか他にもあるし、ええよ!






「いや、着なさい」






寝室に帰っていくオカン。




いやまぁええけども、、、。


さっそく羽織る。







・・・






母の匂いがした。





昔とおんなじ。





自分はお母さんっ子で、母の隣でないと寝られないほどだった。



学校で嫌なことがあっても



母の横なら、いつだって寝られた。






昔と変わらない、母の匂いとともに



懐かしい記憶や、気持ち




恐怖と焦りで混乱していた自分の中に



たくさん蘇ってきた。





家族との日々、友達との思い出




置いてけぼりの気持ちに、戻ってきた。




それを必死に抱きしめて




気づいたら、うずくまって泣いていた。






いつかまた、日常に戻れるかなぁ。








そういえば

母はなんで自分の着ていた上着をくれたんだろう笑



きっと、母にしか分からない。






「いくつになっても、あんたやぁは私の子だけぇ」





お母さん、ありがとう。

何のために生まれて

何をして生きるのか

答えられないなんて

そんなのは嫌だ!







みんな知ってるあの歌。


特に気にしたことは無かったけど。



この病にかかってからは刺さってしかたがない笑








20歳で命の終わりを迎えそうになった。






なんとなく生きてきてしまっていた。


まだ、何もできていないって。ちょっと待ってくれよって。







でもまぁ、そりゃあそうだよ。たぶんみんなそう。


生まれてきた意味とか、考えるだけ無駄だってのも分かるし。



生きる意味がどうとか、そんなの気にしてたら、「大丈夫?病んでる?」って。そう思ってたりした。








でも、知らぬうちに人生の最終章に差し掛かってしまっていることに気がついて。




病床では時間だけは溢れていて。








投薬の合間の、ある程度副作用が落ち着いている夜は、眠れず、一生分の考え事をした。


※よく昼夜逆転していた。昼は騒々しくて気が紛れて寝られるが、夜はいろんな感情が押し寄せた。








20年間の、なんら大したことない自分の経験たち。



答えを探すには、あまりに頼りない。









それでもただひとつハッキリしていたこと。










人は結局、死んだら、それまでだった。









じゃあ、どうすればって。







考えたよ!いっぱい!笑









答え、なんかでは決して無いけど。






繋ぐ、とか、託す、とか。



もっと言うと、遺す、とか。




そこはひとつ、辿り着いたところではあった。









両の祖父は、すでに他界していた。








自分の命は、彼らが繋いでくれたものだった。






命のリレー。





最も分かりやすいカタチ。








でもね、それだけじゃない。








父方の祖父は自動車の整備会社の社長。


母方の祖父は教育者。(中学校の校長先生)







それぞれの道で、繋いできたもの。





飾られた表彰状だけでも、窺い知ることができる。







そんな大仰なものじゃなくても。







よく飛ぶ紙飛行機の折り方





バター染み染みのめっちゃ美味いトーストの焼き方





じいちゃんが、教えてくれた。

















罹る人の少ない、珍しい病気。





治療法を研究しても、金にはならない。






それでも、日本に、世界に。専門の研究機関が存在する。





未だに確立した治療法は無い。







この病気の治療を始めるにあたって、署名をしたいくつかのものの中に




「研究機関への検体の提供」




があった。





俺は、21歳を迎えたばかりだったけど成人していた。





自分で、同意の署名ができた。







俺は、この病に負けるかもしれない。





けどなぁ





俺の提供した検体が、治療経過の記録が





未来の誰かを救うことに繋がるんだよ












迷わず署名した。







届けって。遥か遠くでも。





ひとつ、繋いだ気がした。







きっと、小さいけど。









その後、病室に戻り。









少しばかり。少しばかりの満足感と。



大きな、大きな悔しさと。




これから治療へ立ち向かう、



死へ立ち向かう恐怖と。










神様。






もし、もしこの先も





生き続けることが許されるなら





この人生は、





誰かのために生きます。





そう願った。










10年経った。いまも、変わらない。





いつか終わる命






誰かのために捧げた人生なら





死んでも、それまでじゃないって。







きっと、ちゃんと、






自分の命に、諦めがつくって。








そんな気がするんだよね〜〜笑








誰かのために、かぁ。






でも、気をつけなきゃいけないこと。






一方的な押し付けはだめ





親切でも、愛情でも




受け取って貰えて、はじめて正しく成立する。




真に相手を想うなら











忘れちゃいけないこと。