タイトル適当過ぎる、絶対に見にくい。


けど、考えるのが面倒なので…とりあえず書く!


雑でごめんなさい…






記憶が曖昧でちょっと前後してるかもしれないけど、その日のうちに手術の日程が決まったと思う。この日は覚えてる。2月6日。



1月28日に宣告を受けたので、だいたい10日くらいか。





はよ取ってよ!!って思った。





その間、特にやる事もないのでふつうに大学に行っては?と主治医。


ちょうど期末試験の時期だった。





受けましたとも。手術日までに受けられる試験は。


ちゃ〜んとそれなりの成績で終えた。口の中に悪性の腫瘍抱えたまま。この時のメンタルどうなってたんやって今でも思う。笑



まぁ、それしかする事無かったから。尋常じゃない不安抱えながらだけど、なんかやってないと耐えられなかったのかも。




友達にも、バレないように振る舞う。




手術と入院で受けられなかったものは、退院後にちゃんと追試を受けさせてくれた。教授陣、感謝。





手術の前日に入院。またMRIとか再度撮った記憶がある。






この日のことはよく覚えてる。









ちょっと、またにしよう。

見てくれてる方、ありがとう。いないかもしれないけど笑


まぁ、それでも良いのです。ほぼ日記なので。




おいおい、一年以上もあけてしまって。


誰かの参考になればって書き始めてこのザマ…。


意志力の無さにはホントに滅入る。



きっと何の役にも立っていない。申し訳ないです。





ですが



今日も元気に生きています。



相変わらず仕事は辛いけど。



でも、いちばん大事なこと。諦めていた30歳を、気づいたら迎えていました。



これから先も、どうなるか分からないけど。来年の今頃に、同じように元気にしてるかどうか。




それはきっとみんな同じかな。






ちょっとだけでも、前回の続き。






病の宣告から、当日中にMRIやらCTやら。原発の頭頸部を中心に、肺などにも広がってないか検査したと思います。エコーもやったかな。



それらを終えるともう夕方。そこから、手術のために奥歯を削る処置を受けました。




全て終えて、口腔外科の待合で待機。父とふたりっきり。


とっくに診療時間は過ぎていて、周りは真っ暗。口腔外科だけ明かりが点いてる。






沈黙…。そりゃ、言葉もない。







「まぁ、こんなこともある。」






父がぽつり。


俺が知らないところで、父さんもいろいろ経験してきたんだろう。やっぱ、生きてりゃいろいろあるか。






「代わってやれんくてごめん」





見たことないくらい情けない顔の父。


なんて返事したか、覚えてない。






立ち込める暗雲に、ただ呆然とするのみ。



待合の蛍光灯が、失意の親子を頼りなく照らしていた。








なんかキリが良い…!

続きは次の投稿へ。




前回の続き。


1人で紹介状を持って赤十字病院へ。口腔外科は2階にある。


受付後、程なくして呼ばれる。中に入ると、設備はまんま歯医者みたい。



この辺あまり覚えていないけど…先生に見てもらい、血液検査などもした。


先生「なんかよく分からんモノだけど、血液検査も異常無いしなぁ。一応細胞をちょっと取ってみて調べてみましょう!来週また来てください。」



まぁこんな感じだったか。



なんだ。全然大丈夫そうじゃん…!



そんな感じで帰路についた。




今思えば、この時点で先生は既にガンを強く疑っていたのだろうと思う。患者を不必要に不安にさせない立ち回り、プロだなぁ。





そこからの一週間はあまり記憶がない。



ただ覚えているのは、舌で時々触っていたその腫瘍が、ものの数日で、全く違う形に変わっていっていたこと。






一週間後、再診の日。

この日は、2年前に亡くなった祖父の命日。1月28日。



俺はこの日も1人で病院へ行くつもりだった。








父「病院行くんだろ?一緒に行くわ。」








……??







いや、いいって。1人で行くわ。






父「いや、連れてったる。先に爺さんの墓参り行ってから行こう。お母もついてくるって。」





うーん…まぁええけども。送ってくれるならありがたいし。





この時点で不穏な空気は感じつつも、それでも自分がガンだとは夢にも思わなかった。

というより、思考が停止していたような感じだったかな。ガンだという発想が自分の中に存在しなかった。


父さん、普段着ないようなジャケット羽織ってたし、明らかにおかしかったのに。笑




墓参り。おかん、やけに長いこと拝んでんなぁ…






墓参り後、病院へ。



両親、待合までついてきてる……えぇ…?




程なくして、呼ばれる。




俺「1人で結果聞いてくるで、待っといてや」




そう言っても、無言でついてくる両親。





今までに感じたことの無い緊張が走っていた。





診察室に入ると、既にパイプ椅子が2つ、用意されていた。




先生「こちらへどうぞ」



来ることを知っていたかのように両親を椅子へ案内。



俺はもう頭真っ白に近い状態。ただ、まだ何も言われていない。まだ分からない。





診察。口の中を見られる。




先生「顔が変わっとるなぁ……」




腫瘍の見た目が変わっている、という意味。良性の腫瘍なら、一週間でこんな事にはならない。





先生「結論から言うと、ちょっと良くないモノだった。」





最大限オブラートに包んだ表現。それでも、ガンの宣告だと理解するのには十分だった。



斜め上を見たまま固まる俺…。



いやいや、え…?嘘でしょ…?いやいやいや…






母が泣き崩れた。

その声を聞いて、ちょっとだけ我に帰る。



大変なことになってしまった…。




細胞を調べた結果、悪性なのは間違い無いが詳細がよく分からず現在も調べていること、おそらく唾液腺由来のものであること


悪性度が高いものであれば投薬治療も考えた方が良いが、そうでも無さそうなのでとりあえず摘出してしまうのが良いこと


転移が無いか調べるためにこれからCTやらエコーやらを撮ること


手術の邪魔になるので、奥歯を削らせて欲しいこと




などなど。悪性度がそこまで高そうではないというワードで、若干の落ち着きを取り戻した記憶。



そのあとは、検査で慌しく動いた。




長くなりすぎたので続きはまた!!


クリスマスイブ!今年は寂しく過ごします…。


さっそく半年以上も放置…これが俺という人間。しかも今は日曜日の深夜2時。寝て起きたら仕事。一番寝られない日だよね。




前回の続き。端折りながらさらっと進みます。



飯もまともに食えない状態だったので、すぐに開いている歯科を探した。年明けの土曜日か日曜日だったかな、いつも通っていた歯科はやっておらず。開いてる歯科に突撃。



見てもらってレントゲンやらも撮ったと思うけど、この時点で特に異常見られず。頬に干渉している親知らずを抜いてもらった。


抜いた痛みはあるが、咀嚼の度に発生していた激痛は緩和!一安心!!ご飯をもりもり食べる。




しかし、一週間後あたりだったかな。異常発生。抜いたところがめちゃくちゃ腫れた。


すぐに歯科に行き、抗生剤を飲んで様子を見ることに。




抗生剤により、腫れはすぐに引いていった。




けれども、




何かある。




2,3センチ大の硬いしこり。何だよこれ。




数日後、歯科での再診。



俺「腫れは引いたんですけど、何か変なのが残ったんですよね〜笑」


歯科の先生「何だろうこれ、硬いな〜。うーん、硬いな〜…」




先生、顔が青ざめてませんか…?え…?




歯科の先生「これが何なのかは分からないけれど、どの道ウチでは治療できないので紹介状書きますね…」



しょ、紹介状?!







けっこう待ったかな。あたりは真っ暗。待合には俺1人だけ。受付のお姉さんから紹介状を受け取る。お姉さんは笑顔でお大事に!と。俺は、引き攣った笑顔。。


車での帰宅中はいろんなことがぐるぐる。まさかな…って。いやいや、流石にナイナイ…。




帰宅して、母に大きな病院の紹介状を貰った事を伝える。



俺「ちょっとこれやばいかも」


母「ふーん、大丈夫っしょ。まぁ診てもらい。」




まぁ、大丈夫だよな。



と思いつつも不安で仕方なく、口腔内に発生する良性腫瘍についてたくさん調べた。もちろん、ガンについても。




たぶんこれだろ、みたいな病名の当たりも付けてた記憶。良性腫瘍のね。名前は忘れた。



そうじゃなきゃ、やってられなかった。



この前成人式だったんだぞ。そんなわけあるかよ。





つづく!

201413日。成人式当日を迎えた俺は、成り行きで任されることになった新成人代表謝辞を壇上で読んでいた。


かなり緊張していたので、俯いて紙を見たまま早口で読み終えてしまい、式が終了した後に広報誌に載せるための写真を別撮りさせられた…。



恥ずかしいと思いつつも、こういった事にももっと挑戦して頑張っていこう!なんて考えていたりしたと思う。




夜には中学の同窓会に参加し、思い出話に花が咲いた。だが、そんな俺には気になることがあった。






この頃、口の中がどうしようもなく痛かったのだ。






正確には右奥歯の後ろの辺り。親知らずが生えているが、それが頬粘膜(ほっぺの裏側)に当たってしまい、傷になっていた。それこそ、ご飯なんかも食べられないほどに。この日は、ほとんど食べなかったと思う。




「親知らずが生えてきたせいで傷が出来ちゃって飯が食えねぇw




なんて友達には言ってたかな。




耐えかねた俺は、正月明けすぐに行ける歯医者を探し、向かうことにした。




今思えば、この親知らずは随分前から生えていたものだった。



つづく。





◯当時のツイートそのまんま

2014/01/02

親知らずが歯茎傷つけてヤバいことになってる。慢性的に刺激を与えるのは良くない。早く治したい。




これは、慢性的な機械刺激が口腔ガンの発生原因となる、という情報をネットで得てのツイートだったと思う。



実は同タイミングで左側の親知らずが顔を出し始めており、そこもかなり痛んでいた。歯茎と表現しているので、このツイート自体は左奥の痛みのことを指してるかなぁ。



右奥の痛みが異常であることに気づかなかった要因。