で、今回のメインイベントだった八木邸内部へ。
見学料は八木邸にある和菓子屋さんで購入し、八木邸の門をくぐります。
門から向こうは撮影禁止なのです。
が、門はOKだったみたいです。
帰りにガイドさんにあれこれ質問していたら、写真を撮ってくださいました。
ありがとう、ガイドさん(´Д`)
八木邸は近藤や土方、沖田をはじめ、新選組が宿所としていた場所です。
壬生浪士組は内部紛争が起き、芹沢派と近藤派が牛耳ることになります。
で、この芹沢という人は豪傑という、たちが悪いというか。
お金を借りる、借りたものは踏み倒す。あちこちで悪質な事件を起しまくるという次第。
壬生浪士組の時はもちろん、新選組と名を変えてからも、素行が悪く、
とうとうおかかえの会津藩が切れちゃって、近藤派に芹沢暗殺の命が下ったそうです。
そしてその芹沢鴨が暗殺されたのが、八木邸です。
まさに事件の起きた部屋でお話を聞くのです。
わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁという感じでした。
文久3年(1863年)9月16日(の説が有力)、現在の歴だと10月28日。
芹沢鴨・平山五郎・平間重助は、近藤たちの策だとも知らず、
土方たちと島原遊郭にある角屋でどんちゃん騒ぎをし、
結果、八木邸帰宅後に寝込みを襲われて殺害されることになります。
今も残る角屋さん。右側です。夜に行ったので画像が暗い(-_-)
この一帯は、今も島原と呼ばれていて花街の名称です。
※角屋さんは祇園でいうところのでお茶屋さんです。遊郭ではありません。
八木邸から歩くと15分ほどです。
新選組には局中法度というものがありました。
200名にもおよぶ大きな組織となったので、規律を作ったわけです。
破ったら切腹ね。という規則です。
その中に、『私ノ闘争ヲ不可(私闘をするな)』というものがあります。
ゆえに、同じ組織にいる芹沢たちを近藤たちが暗殺するということは、
局中法度に背くことになります。
ゆえに、近藤はそのまま角屋に残り飲み続け、
土方たちも各々その場から帰ったという既成事実まで作っていたようです。
島原大門。まだ残ってます。
この門だけなんですが、夜に行くとなおさら雰囲気がありますねぇ。
この先に角屋さんがあります。
角屋から戻ってきたかごは3つではなく、5つだったそう。
内2つは、平山・平間のお妾さんが乗っていたそうです。
芹沢の妾、お梅は八木邸で帰りを待っていたそうです。
3人はお妾さんたちと飲みなおし、寝込んだところを襲われます。
その日、この暗殺現場を見ていた人がいます。
八木邸当主の妻、『まさ』さんです。
その夜は土砂降りだったそうですが、隣の部屋で寝ていたまささんは、
物音がする芹沢たちのいる部屋をこっそりのぞいたんだそうです。
そこには土方さん、沖田さん、原田さんは確かにいた。
雨で見えにくかったけれど、山南さんもいたのではないかと晩年、話したそうです。
まさに芹沢が妾のお梅が寝込みを襲われ、暗殺された場所に私とはるさんは座っていたのです。
え?え?ここ?と私はやや興奮気味にさらにガイドさんのお話を聞く(笑)
いやー。ここからの話が面白かった!
なんせ事件のあった場所で事件の話を聞くんですから。
詳しいお話は次回に続きますー。