昨日の長崎ドライブの続き・・・・
先週の土曜日に、伊王島(硫黄島ではなく)へ橋が架かったらしく
いちおう、リゾート地として名高い伊王島へ
う~~む・・・
長崎市内の目抜き通りのように
貴重な文化遺産とかは別になく
多分、何かイベントとか(ライブみたいな)の時は
いいんだろうけどなあ~
写真撮るポイントもないんで、島に行って、
缶コーヒー途中で買って、また長崎市内中心地へ
ここは有名な興福寺の山門。
小さなお寺だけど、仏像とか、なんかエキゾチック
仏像って、なんか写真撮りずらくて、山門だけになっちゃった
坂本竜馬の亀山社中は、膝が壊れそうなので行かず・・・
m(__)m
けっこう時間経ってしまって、
あと一つ、娘もダンナも
ワタシの好きなトコ行っていいと言うので、
前も行った事はあるのだが、
ワタシが尊敬する
永井隆先生のお住まいだった
如己堂(にょこどう)へ
長崎へ修学旅行のコースに
必ず入っている「如己堂」
後ろにあるのが「永井隆記念館」
手前にある小さな小屋(失礼)が、
永井先生と、息子さん・娘さんの三人で住まわれていた
「如己堂」
畳おそらく3畳くらいの小さなおうち。
’如己’の意味は「おのれを愛するが如く他人を愛せよ」
って意味。
その通りの生き方をしたのが永井先生。
ちょっと永井先生のお話を書きます。
当時、長崎医科大学の放射線科の教授で、
戦時下には物資不足から、安全対策は全く取れず
レントゲンの「直接透視」を日に100回以上やり、
毎日大変な量の放射線を直接浴び続けた為に、
白血病で余命3年と言われていた。
それに長崎で原爆にあい、
長崎医科大学で就業中に「ニ重に被爆」した
自分自身、白血病で猛烈な倦怠感と、被ばくで大けがをし、
ふらふらになって、倒れながらも
多くの原爆患者・怪我人を診察…
如己堂では、病気の為に脾臓がはれあがり、
お腹にたっぷりの復水を溜めながら
自分の血液等を採取しながら
自らの体を実験材料にして原子病の研究をしていた
恐らくは当時、白血病でさらに原爆で被爆した人間と言うのは
世界で自分だけであろうと言うことから、
自分の死後は長崎医科大に献体をと言っておられた。
奥様も、投下の時、瞬時にして亡くされてているので、
幼い息子さんと娘さんをこの世に残して行かねばならない
切ない気持は、どんなだったろうと、
私も愛する娘を持つ身。とても辛かったろうなあって、想う。
ご自身はもう起き上がれない。
しかし子供たちを食べさせなきゃいけない…って事で、
寝ながら出来る仕事⇒「本を書く」・・・で、
「長崎の鐘」他、多くのベストセラーを残されている。
今問題になってる福島の原発の事・・・
先生は天国でどれだけ胸をいためていらっしゃるだろう
天国できっと「どげんかせんといかん」と
腕組みして見ていらっしゃるに違いない・・・
だまだ書き足りない事は沢山
有名な人ではあるが、
長崎に縁のない人は
結構知らないらしいので、参考までに書きました
長くなっちゃうんで、良ければネットとかで調べてみてね。
長崎の鐘 (アルバ文庫)/永井 隆
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…って、とってもファンである永井先生のお住まい後に
おじゃま出来て、なんか満足…
それから直、オバアサマの待つおウチへと
急いだのでありました。
ま、バタバタだったけど、お天気も良かったし
楽しかったかな