心から笑えるその日まで~自死遺族だけど天真爛漫に生きる私のブログ~

心から笑えるその日まで~自死遺族だけど天真爛漫に生きる私のブログ~

2011年の夏。突然の夫の死。自死遺族になりました…
いつも笑顔を忘れずに、そんな決意からいろんなおもいを綴っていきます。

《アメンバー承認について》
アメンバー申請は閉じていますが、
自死遺族の方や、大切な方を亡くされた方でブログを書かれている方、又はコメントのやり取りある方のみで受け付けています。突然の申請はお断りしています。アメンバー申請の際は一度、メッセージをお願いします。


Amebaでブログを始めよう!
お久しぶりでございますバイバイ




まずはご挨拶から…

こんにちは あろーんです
(懐かしぃ~この感じ"照れ")



皆様
お元気でしたか!?
2021年も半年が過ぎましたね





今年は夫が亡くなって10年
そして、今月末には10回目の命日を迎えます



もう、なのか…
まだ、なのか…


その10年目の思いをここに書き残そうかなと、久しぶりにログインしました
まだ残ってて良かったですてへぺろ




私の思いをどう言葉にすればいいのか、悩みながら思ったまま(振り返りながら)を記事にするので、まとまりのない文章になるかもしれません
あ、元々文才はなかったわニヤニヤ


ダラダラと書くのでアセアセ
読めるかい!という方は、どうぞ遠慮なくすっ飛ばして下さいね爆笑









まずは
ブログを離れてからのこの約二年

とても慌ただしい毎日でした


いつも傍で寄り添ってくれていた大好きな母の急逝…
なにかと色々ありすぎて、落ち込むことも多い中、極めつけは次男の大怪我と長期入院ショック

自分自身にも持病が増えたり…と、なかなか心身共に疲れる濃~い年月を過していました


今はやっと少し落ちついたところです笑い泣き


あの頃のこと


思い返すとあの頃は、10年後の自分がどうなっているのかなんて想像もできず、先の見えない事への不安と恐怖に苛まれていた毎日でした



自責という沼から這い上がれず、もがき苦しみながら、ここから決して出ては行けない、そこが自分の居場所なのだとずっと思っていました



そして、自分は悲しいのか苦しいのか、誰かの助けが欲しくても、この辛さをどう表現したらいいのか全くわかりませんでした



妻として夫の苦しみに気づけなかった…
毎日一緒にいて何も見えていなかった…
きっと私が夫を死に追いやったのだ…


罪悪感から自分を責め続けてばかりいたのです


上手く言えませんが、当時は悪循環な負の刷り込みがずっと解けないままだったのだと思います




『これまでどんな風に生きて来られたのですか?』


同じ自死遺族の方から、よく聞かれる質問です


どんな風に…そうですね
答えが欲しい方、申し訳ありません、、、
私にもわかりません滝汗



これまで私は、特別に何かをした訳でも、悲しみや辛さを乗り越えようと努力したこともありません


自死遺族である私は、付帯する悲観も特別で複雑だったし、いくら足掻いても現実から逃げることはできず、例えるなら大きな波に飲み込まれたまま、そのまま流されるしかなかったのだと思います

そして、その流れの中で、すべてを受けとめ、単調な日々を消化していくことで、いつの間にか自然と生きていく力が備わっていったのかもしれません
 

それでも時々、荒波が来たかと思うと急に穏やかな波が来たり…と変動はありましたが、溺れるようなことはありませんでした



振り返ってみてもこの10年、前半はバタバタと慌ただしく、法事ばかりしていたような気もしますうーん


どうしてもやらなければいけない事も多くて、じっくりと夫を想う余裕もなかったのですが、後半になって、それも徐々に向き合うことが出来るようになりました







気持ちの変化


この10年という歩みの中で
夫が何を思い、どう決意したのか
生きることを諦めるのではなく、何かを信じて進んでみようという選択肢はなかったのか


その何故』の部分を探ることをやめました



振り返っても得るものは何もない

何かで読んだのか、誰かに言われたのか、いつしかそう思えるようになっていました


そして

《思い》《想い》《忍ぶ》《偲ぶ》

と、変化していき、少しずつ自分の中で気持ちの整理がついていきました


こうして気持ちが変化すると、一時は憎らしく、恨んでいた夫のした事を『もう認めてあげよう』『もう許してあげよう』と思うようになったのです


自死遺族の私に対して非難するような辛い言葉を並べられても
知らない誰かと不幸比べをするような表現で傷つけられても



家族だから
愛した人だから
私だけでもわかってあげたい!
きっと彼も苦しんでいるはず!!



『誰が何を言っても、どう思おうと構わない彼が光の世界で穏やかに過ごせるよう、互いに互いの苦しみを手放そう』


そう思うと、ザワザワしていた気持ちは自然に無くなっていきました



夫が生きられなかった残りの人生を、残された私が生き抜く事で、それもひとつの供養になるんじゃないか、そんなふうにも感じるようになりました



生きる意味


遺族として私がいつも感じていたのは

大切な人を失くした悲しみよりも、その思いを抱いたまま生きていくことの方が、ずっと辛くて苦しい…ということでした


また、夫の行いは決して孤独なものではなく、そのことで心に傷を負うという意味では多くの犠牲者を残すことになるのだ、ということも学びました


私自身、心に痛みを感じた時は心療内科に通いましたし、幸せそうに笑う他人が怖くて人間不信にもなり、時々生きることに疑問を感じた時期もありました


だけど、私には三人の子供たちがいたこともあり、この子達を守るのはもう私しかいないのだと『自身』よりも『母親としての役割』を優先してきました

その思いだけでも、私には十分に生きる意味があったのです


どちらかと言うと『死ねないから生きていた』と表現した方が正しいのかも知れませんが、残された者として生きる意味を見出すことは、とても大切なことなのだと思いました





優しさ = 強さ


人は弱い生き物だ、とよく言われますが
私は同時に強さも持っていると思っています


私自身、ここまで回復するのにたくさんの時間が必要であったことを身をもって体験しました

俗に言う時薬という言葉はあながち嘘ではないとも思っています



この長い期間を耐えることが出来たのは、私の中にも強さがあったからだと信じています


そしてまた、たくさんの強さに助けられてきたことも事実です



今、もしも…
心の支えが必要な方がここに(周りに)いらっしゃるのなら、グリーフケアがあるということを知ってください(教えてあげてください)


自死遺族のためのサポートグループもありますし、ここ(アメーバブログの中)にも同じ境遇の方がいらっしゃいます


同じ経験をしたもの同士が繋がることは、とても心強いことだと思います

そして私もここに来て繋がったひとりです


ここにいる皆さんは優しい人達ばかりおねがい

人に優しくできるのも、また強さであると思いますキラキラ


これから


そんなことを言っている私は、このブログをやめてしまっているのですが滝汗
ヾ(・ε・。)ォィォィ


今は会えずにいる、ここで知り合ったお仲間さん達とは、交流が続く限りこれからもお付き合いは続けていきたいです


そして苦しみや悲しみを緩和し、同じ重圧を心に抱えた者同士がお互いに癒される、そんな安心できる集まりの場所を

配偶者、パートナーを亡くした自死遺族の方達のための会を

いつか開くことが出来たらいいな、と思っています



夢だけど〜叶うといいな照れ






これまでの10年、たくさん嘆き、苦しみ、悩み、そうしながらも私は生きてきました

もしかしたら、まだまだ回復途中なのかも知れません滝汗



それでも私は、何年経とうが『先を行く人』でも『あとからきた人』でもなく、これからを『共に歩く人』でありたいと思っています




と、誰が興味あんねん!の話ゲラゲラを好き勝手に書きましたが、私の記録として残すものなのでどうかお許しをチュー





また新たな10年に向かって、ここからスタートしますニコニコ







長々と最後まで読んで頂きましてありがとうございましたバイバイ





※フォロー外さずに残ってくれているお久しぶりの方(い…いてるのかな〜滝汗
元気ですよーのいいね!を押してって下さいね💕