このブログは、元々高校時代からの友人である”はちきよしみち”氏(本名:八木欣道・ペンネーム:八木商店)に「ブロガーグループを作ったからお前も参加しろ。」と言われて試行錯誤でブログを始めたのが最初です。
当初は、「グループの品位が落ちるから下ネタは書くな!グループを主宰している女性がキレてる!」とかクレームの嵐でしたが、途中であきらめたのか慣れたのかあまり文句を言わなくなりました。
一時期はブログネタの大半がはちき氏の逸話だった事もあり、飲みに行くといつもウソばかり書くなと怒られたのも思い出です。
まあ、8割作り話なので怒られても仕方なかったのですが、梶原一騎の「空手バカ一代」や「プロレススーパースター列伝」のように事実とフィクションを混ぜて書いたので本人も面白がってました。
彼は当初作品のペンネームを本名をもじって”はちきよしみち”と名乗っていましたが、ネットで名前を検索すると、このブログで彼の奇行ばかり出てくるので腹を立て”八木商店”に変更しました。
まあ、ドライフルーツの販売にも力を入れていたので、八木商店の名前が売れれば商品の拡販と宣伝にもつながるとも言ってましたが、ペンネーム変更の原因は私です。
さて、はちき氏は本業の傍ら学生時代からの夢であり憧れだった作家活動をずっと何十年も続けていました。
何度か作品を見せてもらいましたが、当初は純文学的というか哲学的な内容が多く、「心底つまらん。」とか「今の時代に売れる訳無いだろう。」と僕は辛口の意見ばかり言ってました。
その後は作風も変わり、青春物やホラーにも取り組み名作リングを生んだ角川ホラー大賞の最終選考に2回も残ったりと頑張っていたようです。
月に一度は一緒に飲みに行ってくだらない話をしていましたが、3年程前には映画の原作募集に応募して次点になったと悔しがっていました。
彼のすごいところはそれでもあきらめずに怪談朗読の人気ユーチューバーに自ら売り込み、YOUTUBEに朗読作品をアップしてもらいました。なんと2時間半という長時間の朗読にも関わらず現在では48万回再生と非常に人気となっています。
何度も「はよ聞け!」と言われたのですが長過ぎて僕はまだ聞いていません。
www.youtube.com/watch?v=Sv1K_Wow_mI&t=136s
それが上記の朗読劇の男神です。
【男神・予告編】
www.youtube.com/watch?v=GF5QEvka9dQ
大学生の頃から長年の憧れだったベストセラー作家に向けて小さな一歩ではありますが、ミニシアターの単館上映では無く、全国公開される映画の原作者として自分の作品が評価された事に非常に喜んでいました。
五十代半ばにして、学生時代からの夢をかなえたのは本当に素晴らしい快挙だと思います。
私の会社にも毎月映画の進捗を自慢しに寄ってくれました。
ところが、まさかの事態が起こります。
普段は、大体当日に私から急に電話を入れて呑みに誘い、月に一度位は二人で焼鳥屋や居酒屋に行っていたのですが、23年の8月、9月と珍しく2か月連続で何回か誘っても忙しいと断られました。
そして、10月に入って「そろそろ飲みに行こや。」と電話をして誘ったところ、実は今病院に通院していて白血病だと聞かされます。
めちゃくちゃ驚きましたが、水泳の池江さんや俳優の渡辺謙も完治してるし、とりあえず10年位は大丈夫だろうという話でした。そして、11月末位に入院したと本人から連絡をもらったので、さっそくお見舞いに行きました。
今にして思えば、元気だった7月位に彼からいつもホラー小説のネタは無いかと聞かれていたので、僕の実家が誰も住まなくなり巨大な廃墟と化してきていて非常に不気味なのと、石や置物、彫刻、掛け軸等の祖父のコレクションで欲しいものがあればあげるからホラー小説のアイデア作りに参考になるかもしれないからと誘って見に行くと、暑くてカビ臭いから無理、気持ち悪くなったと10分くらいでギブアップし玄関先の屋外でへたり込んでいました。普段は暑さでバテるようなはちき氏ではないのでちょっと意外だったのを覚えています。
また、春くらいからドライフルーツを漬けたミネラルウォーターを飲んでたら腹の脂肪がめっちゃ落ちてダイエットできたと腹筋の浮いてきたお腹を自慢して見せてくれたりしていたので、今にして思えば予兆は色々あったような気がします。ただ本人はダイエットの革命的な発見やと張り切って周りに自慢していました。
彼は普段から、2,3時間の睡眠時間と日中に数十分の仮眠のような生活を長年続けていたので、夏場からだんだん体調不良になっていきますが、本人も単なる夏バテだと思っていたようで体調不良が続いても病院には行きませんでした。
秋になり、仕事で野菜のケースを持ち上げた際に、脇腹に激痛が走り、あばら骨が折れたと思い整形外科に行ったところレントゲンを見た医者から大病院を紹介されて白血病と判明したそうですが、日本で数例の極めて珍しい白血病の為、最初は白血病では無いガンだと診断されていたそうです。
白血病が判明した時点で骨髄移植とかはもう不可能な状況で抗がん剤の相性に賭けるしかない状況でした。
話は戻り、お見舞いに行くので食べたいものはあるかと聞くと、うなぎとセブンイレブンのブリトーとの事でしたので、専門店のうな重の大盛とブリトーを2つ買って病室を訪ねたのですが、病室に入り彼の姿を見た時、絶句して言葉がでませんでした。
空手をやっていて太かった腕や足が骨と皮だけのように細くなり、腕には常時点滴を刺しっぱなしでトイレに行くにも看護婦さんを呼ばないといけない状況です。
ただ、本人は妙にテンションが高く、抗がん剤の影響で少し髪が抜けてきたから映画の制作発表の記者会見までにハゲを治さないといけないのが悩みだとか、出版社に依頼されて執筆している地元のローカル怪談集のネタはないかとかそんな話ばかりで、うな重の大盛やブリトー2つも軽く完食してしまいました。
本人の話では、医者から長生きは難しいかもしれないが10年は大丈夫だろうと言われたとの事だったのと、骨と皮だけに激ヤセしているものの、これだけ食欲があるなら回復するかと思いました。
ただ、本人は知らなかっただけで、この時点でもういつ亡くなってもおかしくない手の付けようが無い末期的な状態だったのです。
高校時代の友人も誘って何度かお見舞いに行き、毎度元気でしゃべりまくって対応してくれていたのですが、入院して2週間位で医者から告知され、最後の希望の抗がん剤が効果が無かったのでこれ以上の治療はできない。もういつ亡くなってもおかしくない末期状態である事を伝えられたと本人から電話がかかってきました。
さすがに本人もショックを受けていましたが、まだ試していない抗がん剤治療をして欲しいと医者に頼んだし、頑張って治療すれば、あと2年は生きれると医者も言っていたので映画の制作発表や公開の記者会見までは絶対に出るとの事でした。
もちろん2年もつ等という話は医者はしていなかったのですが、自分の作品が評価され映画化になったこのタイミングでどうしても迫ってくる死を認める事ができなかったのだと思います。
ただ、その時は僕もがんばれば2年は大丈夫と言う言葉を半信半疑ながら信じたいという思いが強かったのと、これ以上治療ができないとの事で、年末に病院を退院し自宅療養に切り替えた後は年末年始で仕事が忙しかったこともあり、会いにはいけずLINEのやりとりをしていました。
最後のやり取りは24年の1月11日で、「早く歩けるように回復して沖縄行けるようがんばる。」とのメッセージでした。
退院して自力で歩けるようになれば沖縄旅行に招待してやるからがんばって治せって、白血病と聞いた電話の時から何度か言っていたんですよね。
翌日、突然意識不明になり、13日に彼が亡くなったとの連絡を奥様からいただきました。
僕の人生で一番長く深い付き合いをしていた友人が突然消えていなくなってしまうという事はショックでしたし、1年半経った今でも喪失感が大きいです。
自分にはまだ縁遠いものと漠然としか認識していなかった死というものが初めて身近に感じられました。
どういうものかあまり上手くは表現言できませんが。
今年の秋には、彼の遺作の映画が公開されるので同級生の友人達とぜひ見に行ってみようと思っています。















