本日は、青少年の会の総会に出席(途中出席で申し訳ありませんでした!)後、竹原に伺い、草刈り等の現状を伺いました。午後は、自宅にて政策関係の調べもの。

 

しかしウェブ媒体は、本当に政策関係の簡単な調べものの際に、非常に便利なツールです。ネット黎明期以前となる30年以前の時代を考えると、当時はどのように政策形成を行い、実施していたのか......調査にも非常な労力がかかっていことに思いをはせ、まずは政策第一で取り組んでいかなければと改めて感じた次第です。

 

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さて第一次世界大戦に関して途中になっていましたが、開戦の経緯がやはり複雑ですさまじいガーン以下諸説ありますが、ざっくり概要を。

 

サラエボ事件発生。大セルビアを目指す過激派組織のセルビア人にオーストリア大公が射殺される。

オーストリア🇦🇹がセルビア🇷🇸に最後通牒。宣戦布告。

セルビアと同じスラブ系民族で南下政策を行うロシア🇷🇺が対オーストリア参戦。オスマントルコ🇹🇷は南下政策をとるロシアと激突。

オーストリアの同盟国であるドイツ🇩🇪が対ロシア参戦。同時にロシアの同盟国であるフランス🇫🇷がドイツ・オーストリアと戦争。

フランス&ロシア相手の二正面作戦を避け、まずはフランス攻略を目指し、ドイツが迂回作戦に基いて中立国ベルギー🇧🇪に侵攻。ベルギー侵攻をみて、イギリス🇬🇧が対ドイツ・オーストリアに参戦。

ブルガリア🇧🇬がバルカン戦争の遺恨から対セルビアに参戦

イタリア🇮🇹は領土的問題から同盟国である対オーストリアに参戦。また他にもルーマニア🇷🇴、ポルトガル🇵🇹、日本🇯🇵、最終的にはアメリカ🇺🇸を巻き込んだ世界戦争へ。


※国旗は今のものを使用しています。

 

という、サラエボでオーストリア大公が射殺されたら、なぜかドイツがベルギーに侵攻してフランスを目指し、イギリスが参戦する真顔、という複雑すぎる経緯をたどっているのです。当初は楽観論を見込んでいた各国にとって、クリスマスまでには終わる、といわれたこの戦争のその後は、引き返せない地獄の道へと。結果としてドイツ、オーストリア、ロシア、オスマントルコの帝政は消滅しました。

 

外交や国防の歴史はきちんと勉強しなければならない。これだけの理由をもっても、あらためて第一次世界大戦をみると感じるのです。

 

明日も頑張ります!