熱中症の経験

まだ、娘がいた頃の話し


その日は、朝まで仕事をしていました。


その日は、税務署から呼び出しを受けていました。


それで、自宅に帰って1時間ほど仮眠をしてから、税務署に行きました。


書類の不備の指摘から、書類の説明をし


追加の税金を支払うことになりました。


しかし、追加の税金が想定よりも低い金額になったのが嬉しくて、遠出をして遅めのランチをしました。


その日は、そのまま有給にしていたので


調子に乗って、オープンカーの屋根を外してドライブがてら、帰りました。


途中から、エアコンをキツくしましたが、汗が止まらなくなってきます。


コンビニでポカリ飲んでも、汗は止まりません。


そのうち、動悸が激しくなってきました。


家に帰り、氷枕をして追加でアクエリアスを飲んだり、しますが汗は止まりません。


動悸も激しいまま


おかしい、何かがおかしい?


数時間寝ますが、眠りは浅いまま


晩御飯は食べれません。


吐き気もでてましたから


寝ようとしても、動悸が激しくて寝れなくなってきます。


深夜に


娘に、何かおかしい?


どうしよう?


もう、救急車を呼ぶことまで、考えがまとまりませんでした。


娘が救急車よばなきゃ


119で、救急車をくるまで


時間が特別に長く感じました。


そして、救急車がきますが


なかなか、出発してくれません。


何故なら、症状がハッキリしないからです。


名前をいい、生年月日をいう


症状や今までの経緯を話します。


何か話してないと、意識が朦朧とします。


数十分、自宅の玄関に救急車の中で待っていたようでした。


やっと、救急車が出発しますが身体は落ち着きません。


初めて救急車で搬送されましたが、結構揺れるんだな!と意識が朦朧としながら耐えていました。


やっと病院に着きましたが、救急であっても


なかなか処置室には入れません。


救急隊員と受け入れの病院で、やりとりあるんですね。


早くしてーーー


話すことすら、キツくて体力温存に気力を振り絞ります。


それから、やっと処置室へ


高齢のナースに、中年の医師?


熱中症だと思うから、点滴を早く!


口調は、怒りに満ちていたと思います。


点滴針が刺さったのが、解ったら意識が朦朧とします。


暫く経ったのでしょうか?


身体が暑くなってきます。


点滴が猛スピードで身体を駆け回り、細胞に水分を補給しているからでした。


それからは、症状の改善は早かったです。


意識が徐々にハッキリしてきますが、身体が楽になるにつれて気が緩んでいく。


気を抜いていいんだ!、、、


それから、数時間経ったんでしょうか?


高齢の看護師さんに、声をかけれるほど回復できました。


担当の医師が処置室に戻ってから、症状やら経緯やら話すことができました。


自分の処置自体は、間違っていませんでした。


が、マニュアル通りやったからといって、改善しなければ意味がない。


結局は、2〜3時間経っても改善しなければ、


病院に行く。


あと、自分で運転するんじゃなくて、救急車で


一人で判断しない。


一人にしない、ならない。


病院の仮清算を済ませて、建物から出たら


オレンジ色の朝焼けが差していました。


放射冷却のせいか、初夏であっても空気がシンとして少し寒く感じました。


娘のおかげで、僕は今を生きることができました。






が、






翌年の秋に、娘は逝ってしまいました。


あの時、僕が熱中症の脱水症状で逝けば


娘がいた世界になっていたんじゃないか?


しかし、それで娘達は苦しい生活を強いられていたんじゃないか?


でも、子供だけでも生きてさえいればなんとかなる。


僕が逝けばよかった!


そうすれば、こんなに悲しまなくて済んだかもしれないのに


暫くは、後悔の日々でした。


暫くすると、今度は子供達を悲しませることになる。


結局、どっちにしても誰かが悲しむことにしかならない。

 

今、逝くわけにはいかない。


まだ、残った子供達がいるから

(チワワもいる!)


まだ、子供だから親より先には逝けない。


でも、娘だけが!


当時は、そんな想いがグルグルグルグル回って、苦しかったなー。


今もたまーに、苦しくなる。


今、耳鳴りが一瞬高くなる。


"僕が逝く"とか書いちゃ駄目!って感じがする。


なんか、熱中症以外になってきた笑


生きることが最優先だから、無理はしないで


具合が悪くなったら、休むこと


休んでも回復しないなら、病院に行くこと


悲しむ人を出さないために



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