ピエール・ド・フェルマー

(1607年〜1665112)


前編はオイラーがフェルマー予想に携わり始めたところで終わりました。なんと大天才のオイラーは、フェルマーが事前にn=4の場合は存在しないことを明らかにしていただろうと見抜いてたのです。それをもとにオイラーはn=3の場合も存在しないことを証明した。しかしオイラーをもってしても、それ以外の情報を掴み取ることはできなかった。そこで登場したのがフランスの女性数学者ソフィ・ジェルマン。後編はソフィ・ジェルマンがフェルマー予想に携わり始めるところから語ろうと思います。

当時の女性は社会的地位に携わることが異端とされており、ましてや女性が数学をやることで大きな迫害を受けた。数学が得意な女の子にとってはかなり卑屈な話になるかもしれませんがね。彼女は数学に燃えるがごとく、ある専門書を読んでいるとアルキメデスに興味津々になり始める。ところがそのうちアルキメデスが病気になったことを知り、彼の見舞いにソフィ・ジェルマンが突然やってきた。その瞬間彼女は自分が女性であることがバレるが、アルキメデスにとってはかえって頼もしく思われたのだろう。そんなソフィ・ジェルマンがフェルマーの最終定理に挑む。



ソフィ・ジェルマンは、幾パターンか特定のグループレベルでnに代入した数について上式の整数解が存在するかを検証してみた。それでも完全な情報は得られなかった。そうこうしているうちに情報技術が進展する時代が来たものの、コンピューターを頼りにしても根本的解決には至らなかった。そこで登場したのが2人の日本人数学者、谷山豊と志村五郎である。


ソフィ・ジェルマン
(1776年4月1日〜1831年6月27日)

天才タイプの谷山は楕円方程式とモジュラーが同じ概念にあると予測した。楕円方程式の概念はディオファントスの時代からあったのだが、それは一見全く別のジャンルだと思われるモジュラーと同じことを指しているかもしれないと彼は思った。ただそれが本当なのか凄く怪しまれていたので、そこへ志村がやってきて証明の手助けをし、谷山=志村予想が形成された。ところがなかなか解決しない。


谷山豊
(1927年11月12日〜1958年11月17日)


志村五郎
(1930年2月23日〜2019年5月3日)

ある日、ドイツの数学者ゲオハルト=フライが、「谷山=志村予想が成立するならばフェルマーの最終定理が成立する」ことを証明した。そこで生じた考え方が「背理法」である。背理法は現代数学の考え方であり、入試問題でよく扱われるが、厳密には確実な論理であると言い切れないところもある。背理法の扱いにおける問題点については後日のブログで語ることにして、話を元に戻します。そんなゲオハルト=フライが楕円方程式やモジュラーとフェルマーの最終定理を結びつけようとしたおかげで、これならフェルマー予想が解明できるのではないか、と思って立ち上がった最後の天才がアンドリュー・ワイルズである。


ゲオハルト=フライ(1944年〜)

アンドリュー・ワイルズは10歳という若さであのフェルマーの難問を解き明かした。彼は古今東西受け継がれてきた仲間の理論をふんだんに活かそうとする。その当時から大学ではグループで研究を進めて結果を発表することが習慣になっていたが、ワイルズはひたすら引きこもって自分一人で解決させようとした。ただそうこうしているうちに彼は教授になり、大学の講義と両立させてやらなければならなくなった。それでも彼は数回にわたって独自の講義を開きながらフェルマーの謎を解き明かそうとした。あらゆる理論に矛盾が生じて苦しんだ紆余曲折の末、多くの学生の前でついに証明を完成させた。ところが問題は論文を書くことだった。複数の第三者による査読があり、たった1ヶ所に論理の飛躍があった。それでも彼は諦めず、それまで使ってきた理論をもう一度見直したところ、ついに傷のない証明が完成し、見事に300年間翻弄され続けてきた難問に終止符を打つことができた。


アンドリュー・ワイルズ
(1953年4月11日〜)

そんな大天才のワイルズに惚れつつも僕からのメッセージ。数学って人生でいったい何の役に立つんだ⁇ってその当時から思われていた。ただそこには実用性を超えるだけの遊びの楽しさがあった。とあるアマチュア数学者が「この数式は何のために役立つんだ?」と尋ねると、ワイルズは「君は小銭もらって帰りなさい。ただ々利益が欲しいだけの人間は要らない。」と言って、自分だけのドラマを作り上げたことを誇りに思った。数学は決して何の役にも立たない学問ではない。そこには美しさが存在する。美観なくして数学を学ぶことはできない。医学部のカリキュラムで数学は最初の1年きりで消えてしまう。その短い間だからこそ数学で美を感じ取れる機会を大切にしよう。これをもって、フェルマーの最終定理に関する僕の講義は終了します。次回からのブログでは、打って変わって僕の趣味で教訓めいた話をしていこうと思います。