フェルマーの最終定理、それは300年間も人類を翻弄してきた難問。この世代最高の人間と言われる多くの数学者がなかなか解けずにどんどん挫折していく中、唯一這い上がってきたのがこのピエール・ド・フェルマー。この定理どんなの?なんて聞くのはまだ早い。聞いたら意味分からなくなるもん。なのでまず歴史を説明しよう。

ピエール・ド・フェルマー

(1607年〜1665112)





事の発端はピタゴラスなんですわ。3:4:5みたいなこの式を満たすのにこんな好都合なことありますか⁇って当時は思われてたわけよ。実はこれを満たすやつがいくらでもある。美しいですよね。

またその時衝撃的だったのは、彼はなんと古代エジプトなんですよね。しかも単なる数学者じゃなくてある宗教の教団だった。ピタゴラス教団。あまりに頭良すぎて教団の名前になってしまった。そして彼はとんでもない死に方をする。その当時、美しさは整数にしかないって思われてたから√2なんてやつを彼の弟子が発見した途端に負けた気がした。

古代ギリシャ最後の天才と言われたディオファントスが「算術」っていう、いわゆる計算問題をたくさん集めた本を書いた。当時ビザンツ帝国がかつてscienceの先進国だったので、「算術」を13巻置いてたのだが、やがてオスマントルコの侵略によって略奪され、6巻だけを持ってヨーロッパに逃げた。その6巻が凄かった。その天才を残した者たちの中にピタゴラスがあった。

ディオファントスの墓碑銘


そして古代ギリシャから随分かけ離れたフェルマー。なんと元々は数学者じゃなかった。17世紀のフランスの裁判官だったのだ。当時の裁判官は私生活の規則がかなり厳しかった。友達と遊んではいけないとか…
でもそんな中で驚くべき証明を見つけた。



みなさんこの式どうですか⁇
n=2の場合を満たす整数はある条件下で無限に存在するのだが、n=3になった瞬間にこの式を満たす整数の組が1つもない‼︎😱
この発見が素晴らしい。

ただその当時はまだ数学っていったい日常生活の何に役立つんだ、って思われてたわけね、今でも思われてるけど。しかしそのうちニュートンがやってきて物理に応用しようとする。そのことで数学は科学の発展へと繋がることがわかり、そこからいろんな数学者がますます難問を提示しまくる。その難問のスペシャリストとして有名なのが盲目の天才『オイラー』。そんなオイラーがフェルマーの最終定理に挑む。

レオンハルト・オイラー

(1707415日〜1783918)


今回はフェルマーが予想を立てた時代までの流れを語ってきました。次回後編ではソフィ・ジェルマンから谷山=志村予想を経てアンドリュー・ワイルズがフェルマー予想の長い歴史に終止符を打つ話をしようと思います。今回はここまでです。