今日の記事は、すぐ削除することになるかもしれません。
批判や非難、嘘だ妄想だと言われるかもしれないことを承知で書きます。
小心者なのか、大胆なのか・・・

2年前、父と母と私、3人ともが信頼していた看護師さんがいました。
とても明るくて、気の利く看護師さんでした。
いつもニコニコ、父のどんなリクエストにもすぐに応えてくれる方でした。
父が緩和ケア病棟に入院して3ヵ月の間、母はその看護師さんが夜勤だと、安心して任せて家に帰っていました。
それは、父が一人でトイレに行けなくなり、経鼻チューブを着け始めた頃のこと。
3ヵ月の間、一日も休まず付き添っていた母が、とうとうダウンした日のことでした。
私と父、二人きりの病室に、その看護師さんがやって来ました。
「○○さん、今晩は私が担当です!よろしくね!」
いつもの元気いっぱいの笑顔に、私はホッとしました。
「よろしくお願いします!よかったなぁ、今日も○○さんが担当やって!」
そう話しかけた私に、父は返事をしませんでした。
父の隣の病室の付き添いのご婦人に、母はある話を聞いていました。
「誰かはわからへんけど、ここの看護師さんの中で、家族が帰った後に豹変する人がいはるの。」
「それ、ほんまなん?」
「うん、うちのお父さんが〝食べろ食べろ〟って口の中に無理やりごはん突っ込まれたり、〝どうせ死ぬんやからな!〟とか暴言吐かれたりしてるねん。」
「それ、誰なん?」
「わからへんの。うちのお父さん、誰か聞いても言ってくれへんのよ。もう辛くて・・・。」
涙を流してうつむくご婦人に、母は半信半疑で、でもざわざわするものを感じながら、その話を聞いていたそう。
そして、とうとうその日はやって来ました。
父が言葉を発するのもようようになったその夕方、私は何か言いたげな父の口元に耳を寄せました。
それは、途切れ途切れではあったけど、父の最後のはっきりした声でした。
「あの看護師に殺される・・・。そのまえに・・・、お前がわしを殺してくれ。」
一瞬、聞き間違えたかと思いました。
でも、あの看護師、は、間違いなく、私たちの大好きだった、あの看護師さんだったのです。
それは、父の目を見ればわかりました。
父の最期の日に夜勤だったのは、よりにもよってその看護師さんでした。
父は、もう力の宿らない目で、それでも何かを訴えるように、彼女を苦々しく見つめていました。
そう、そうですよね。
強い痛み止めのせいで、父が朦朧として、彼女に殺される幻想を見た、といえなくもないのかもしれない。
でも。
父は言ったんです。
〝あの看護師〟と・・・。
私たちにはわかりました。
本当に父のことを想ってくれている看護師さん、そして、そうではないだろう看護師さんのことも。
もう動かなくなった父に、その看護師さんが囁いた最後の言葉も、私は覚えています。
「お疲れさま、○○さん。私が最後の担当でごめんな。」
私たちがよく知っている、あの明るい笑顔で。
おそらく一生、私たちは彼女の名前と笑顔を忘れることはありません。
でも、いずれにせよ、時は戻らない。決して。
父の2回目の命日を迎え、この事実をやっと書くことが出来ました。
私も母も、お墓まで持っていこうと思っていたこと。
けれど、これは、どうしても書き残さなくてはいけないことだと思い立ちました。
私のためにも。父のためにも。これから緩和ケアがもっと必要になるだろう世界のためにも。
っていうのはちょっと大げさかもしれないけど、父が耐えていた日々を、私たちがしっかり受け止めるためにも。
緩和ケア病棟に勤務することがどんなに大変なことか、それは私たちの理解の範疇を越えていることだとはわかっています。
もう治る見込みのない人たちと、来る日も来る日も向き合い続ける辛さは、想像を絶することでしょう。
目の前の患者は、日に日に生気を失くしていく。
それでも。
もう長くない命でも、命は命です。
目の前のその人は、まだ生きている。
死ぬために生きているのではなく、その手には掴みたいものがまだいっぱいある。
もうまともに話せなくても、歩けなくても、伝えたいことは胸の中にあふれている。
少しでもそう思って接してもらえたら、それは最大のケアになると、私たちは願ってやみません。
2016年8月30日
病室から葬儀場へ向かう父の見送りは、父が本当に大好きだった看護師さんにしていただきました。
「明日も来てくれはるんか?」
その看護師さんが担当のたびに、父がすがるような思いでそう聞いていたことを思い出します。
出勤してすぐに、病室に駆けつけてくださった彼女を見た瞬間、母も私もこみ上げるものがありました。
「○○さん、私が最後に会った日は元気やったのに・・・。」
父は、大好きだった看護師さんに、自分の最期を見せたくなかったのかもしれません。
本当に、父を想ってくれた看護師さんもいたこと。
それが、私たちのたったひとつの救い。
昨年、一周忌が過ぎた後のブログに、「母も私も、いまだにあのホスピスの近くには、まだ立ち寄れずにいます」と書きました。
それは、こんな背景があったからでした。
でも、この2年で、素晴らしい志を持つ看護師さんにも出逢いました。
(父も、こんな方に看てもらえてたら、幸せやったやろうな。)
そう思うと、父が引き合わせてくれた大切なご縁のようにも感じます。
私に、人を信じて生きていけ、と言われているようにも思えるんですね。
だからこそ、そうではなかった〝あの看護師〟さんのことがずっとひっかかっています。
おそらく、辛い目に遭っていただろう父のことを、もっと早く気付いてあげられていたら・・・、そんな後悔もあります。
自戒の気持ちも、悔しさもやるせなさも、消えないし消そうとも思わない。
けれど、2年が過ぎた今だからこそ、声を上げることができました。
それは、ほんの小さな、蚊の鳴くような声かもしれない。
それでも、もう私たちは後悔を飲み込まない。
事実はいつか、人を動かす真実になると信じているから。
人として生きぬくことも、誇りを持って死にゆくことも、遺された私たちは諦めない。
そう心に誓う、父のいない3度目の秋です。