さて、今日は30歳の時の病状について書こうと思いますニコニコ

 

それまでには、色々な出来事がありました!!

 

先日も書いた通り、21歳の時に「身体表現性障害」との診断を受けましたタラー

 

その後は、薬を服用しながらですが、元気に過ごしていましたウインク

仕事も復職と同時に、違う事業所に配置転換をしましたチョキ

その職場は、とても忙しく3組2交代勤務(4勤2休)で土日関係なく、働いていました泣

残業も毎月40時間ぐらいはしていたと思います泣

でも、決してブラック企業ではありませんチョキ

労働組合もあり、そのあたりは確りしていましたOK

給料は20代にしては、多かったと思いますラブ

残業をしているので、当たり前かもしれませんが笑

職場の人間関係もとても良く、上司、先輩、後輩にも恵まれていました爆  笑

 

プライベートはどうだったのかはてなマーク

20代半ばで、現在の妻と結婚をしました口笛笑い

妻とは、私が高校2年生、妻が高校3年生の時に交際を始めて、結婚したという流れです笑い

現在私がアラフォーなので、人生の半分以上を一緒に過ごしていることになりますね!!笑い

 

結婚のタイミングの前に、

大きな出来事がありましたもやもや

 

それは、母の精神的な崩壊ですアセアセ

 

母は、父が亡くなってから、精神的に少しずつおかしくなっていきましたガーン

父が亡くなってから、心療内科にいき、「不安神経症」との診断を受けたそうですアセアセ

 

変化があったことを覚えている限りで、書いていこうと思います。

 

①煙草を吸い始めた(肺には入れず、口の中に含めているだけ)

②飲酒を始めた

③家事全般をしなくなっていった

④無断外泊をするようになった

⑤電話占いに多額のお金を使用していた

⑥私たち(私と弟)が知らない男性の家に泊まりに行くようになった

 

このようなことが段々と起こっていきましたガーン

 

私は、当時実家に暮らしていたので、弟と母と三人で暮らしていましたチョキ

実家といっても、団地住まいです笑い

 

私も弟も仕事をしており、先程書いた通り、忙しい毎日を過ごしていたので、家にはご飯とお風呂と寝るだけという感じだったと思いますアセアセアセアセアセアセ

休日は、友達と遊んだり、彼女(現在の妻)と遊んだりしていましたアセアセアセアセ

まだ20代半ばで遊びたい盛りだったので、母のことは後回しにしていたと思いますアセアセ

 

もしかすると母の気持ちに寄り添ってなかってかもしれませんもやもや

 

するとある日母から「ある男性とお付き合いしている」と言われましたびっくりマーク

私は、母が幸せならば、亡くなった父も大事だとは思いますが、新しいパートナーと人生を歩んでいいと思っていましたニコニコ

 

ですが、弟は違いましたチーン

どうしても、父以外を受け入れられなかったのでしょう。

弟が「おかん、そいつ呼べ」と凄い怒った感じで伝えていましたムカムカ

母とその男性が、私と弟の前に現れました。

弟は、その男性に「土下座しろ!」と言いましたポーン

男性にとても腹が立っている様子でしたムカムカ

 

母は家のことをほぼ何もせず、男性の家に外泊しており、家の中が機能していなかった且つ、お付き合いするならまず挨拶してこい!という考えが強かったのだと思いますもやもや

 

私も少なからず、そういう気持ちは持ってましたもやもや

 

男性は土下座して、私たちに謝罪してきましたお願い

その瞬間、弟がその男性の顔面を蹴り上げましたドクロ

私はすかさず止めましたアセアセ

すると母がいきなり、交差点に向かって、

「死んでやる~」と叫びながら、走ってましたアセアセアセアセアセアセ

 

私はすぐに、母を追いかけ、止めることをできました魂

 

その日はとりあえず、それで解散しました笑い泣き

 

私は、「もうしんどい」という気持ちをもっていたような気がしますチーン

 

それから母は、行方不明になることが多々あるようになっていきます笑い泣き

 

弟と相談し、母を母の実家に帰そうという話になり、母を実家に帰すことにしました泣

もう私たちでは、手に負えないと判断をしたと思いますアセアセ

 

ただ、母が実家に帰ってからも問題が発生し、どんどん私の体調がおかしくなってくるのです。。。

 

私の体調の話を書くつもりが、そこまで辿りつくまでのストーリーがあり、書くことが出来てませんお願い

この続きはパート2で書くことにしますお願い