今回は、私の過去の病歴について書こうと思います
初めて、身体の調子が悪くなったのは、21歳ぐらいの時だったと思います
では、その頃に何が自分にあったのでしょうか
当時は、高校卒業と同時に車の部品を作っている大企業に勤めていました
勤務体系は、2交代勤務(昼勤を5日⇒土日休み⇒夜勤を5日のルーチン)でした
この頃は、まだ若かったので、元気もあり、夜勤が体の自律神経に影響があるとは全く知るよしもなく。。。
会社の人間関係はとても良好で、先輩、上司ともにすごく仲が良かったです
では、プライベートは
これもまた、友達に恵まれ、週末はとても楽しく遊んでいました
当時の彼女(今の妻ですが)とも、よく遊んでいたことも思い出します
18歳の時から、車を所有していたのでドライブをしたり、友達の家で朝までベラベラ話して、アホみたいなことをして、よくみんなで笑っていたことも覚えています
ただ一つあった辛いことを除いては。。。
その辛いこととは、忘れもしません。
私が中学2年生の時です。
父から「俺大腸がんになった」と宣告されたのです。
命には別条はないとのことでしたが、父が泣いていたことは、鮮明に記憶にあります。
父が「俺、人口肛門になる」と言っていたのも覚えています。
父がなぜ泣いていたのかは、はっきりとはわかりません。
大腸がんになったから?人口肛門になるから?
父のこの時の年齢は、30代後半だったと思います。
ここから約8年間の父の闘病生活が始まるのです。
そして、私が21歳の頃に亡くなってしまいます。
この話については、また機会があれば書こうと思います
では、私ですが父のことを除いて、公私共に充実していた時になぜ体調が悪くなってしまったのでしょうか
それは突然やってきます
冬のある日、仕事中にある先輩から「〇〇がインフルエンザにかかったらしいで~」と聞きました
それを聞いて、私は「昨日めっちゃ話してたやん俺もやばいかも」と思いだしたら、急にしんどくなり、会社を早退しました
その日の夜です。
39度ぐらいの熱が出てきました。
私の平熱は36.2度ぐらいで決して、平熱が高いほうではありません
もうふらふらで、病院に行くこともできず、母は車の免許をもっておらず、連れていってもらえない
父は先程書いた通り、この頃にはこの世にいませんでした
母はたまらず、救急車を呼びました(今考えるとタクシーでいけばいいと思うのですが、私が体調悪すぎて、救急車を呼んでほしいと言ったと思います)
大きな病院に行くことになり、インフルエンザの検査をしましたが陰性でした
点滴を打ってもらい、少し楽になり、自宅に戻ったのを覚えています
その日の夜も、高熱が出て、大きな病院に救急でいきました(この時はタクシーか救急車か覚えていません)
そこでもインフルエンザの検査をしたが、陰性でした
私は心の中で、「絶対にインフルやん!なんで陽性にならへんねん」と思っていました
先生が「タミフル出しておきますね」と言って下さり、服用することになりました
すると次の日には微熱に下がり、そのまた翌日には平熱に戻っていました
ただここで厄介な身体症状が出ます
吐き気です
ご飯を全く取れない日が約1週間続きました
寝る時も横になると吐いてしまい(もう胃液しか出ません)座って寝ていたのを覚えています
もう吐き気が収まらず、大きな病院で胃カメラ検査をすることになりました
結果は全くの問題なし
そのまま、精神科を受診することになりました
そこで先生に言われた病名が「身体表現性障害」という病名でした
私は心の中で、何それ?初めて聞いた!と思いました
精神安定剤である、メイラックス2ミリ⇒1日2回
抗うつの役割と胃の調子をよくする、ドグマチール50ミリ⇒1日3回
胃薬(名前は忘れました)⇒たしか毎食後
を処方されました
すると1か月ぐらいすると吐き気が全く無くなり、体調が戻っていったのを覚えています
会社もとりあえず、6か月休職しました
復職してからは、吐き気が起こることはなくなりました
ただ、精神科には通院していました
ではなぜ症状が良くなったのに、通院をしていたのしょうか
それは、精神科の先生から「仕事をしている間は、飲み続けないといけない」と言われたからです
その頃の私は、精神疾患について無知であり、「先生が言うなら仕方ないのか」と思っていたからです
今思うと止めていても良かったのではないかと思うところもあります
今現在もメイラックス(ロフラゼプ酸エチル)2ミリを朝1回、ドグマチール(スルピリド)50ミリを朝1回は服用しています
この時に診断された、身体表現性障害になった原因は未だにハッキリわかりません
ただ、この時期に父の死という人生で大きな出来事があったのは間違いありません。
母も約8年の闘病介護の疲れ、父を亡くしたことによる、喪失感等で憔悴しきってました。
私は長男であることから、父に関する行政手続き、葬儀のこと、喪主も務めました。
21歳の自分には、このような出来事がキャパを超えていたかもしれません。
当時は「私がやらなければならない!他にやってくれる人がいない!」と責任を感じていたと思います。
それが、身体表現性障害と関係があるのか。。。
これが、21歳ころに私が初めて、体調を崩した時の話です
書きたいことが多すぎて、2000文字を超えてました
また30代で体調が悪くなることをこの当時の私は知る由もありませんが。。。