ピラミッド型古墳と騒がれる都塚古墳について | まきむく通信(どうでもいいこと書いています!)

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ちょうど、お盆に関西では大きく取り上げられてましたが。。。全国では?というと??・・・という話題。奈良県の明日香村にある都塚古墳が最近の学術調査で、ちょっと変わった形態の古墳であることが判ったというものです。

冒頭にも述べたとおり、ピラミッド型の古墳というのである。方墳を段々に重ね合せた様式。。。日本国内では、ほぼこの他には見つかっていないという。。。さらに、朝鮮半島、高句麗などの墳墓の影響があると騒がれている。。。(本当は同じルーツかもしれないし?ではないかも?らしい)

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、騒ぎ過ぎ!ピラミッド型というが、エジプトのピラミッドとは似ても似つかぬものである。方墳を重ねて高さを出しただけではないか!素人うけを狙ってそんな見出し。。。マスコミはいつも、素人うけを狙いすぎ。。。


これまで、石室の調査しかせず、ずっとほっとかれていた古墳。土に埋もれて原型を留めていなかったのですから。。。今回も、墳墓の上の土を一部を取っただけ。。。ぜひ、これだけ騒いだのですから。。。綺麗にピラミッド様に復元してもらいたいものです。



古墳時代前期ならば、いろいろな試行錯誤された古墳が伺えます。しかし、その後、古代の日本人は、大陸にも半島にもない、独自の祭礼。。。前方後円墳を、日本全国に展開していったあとの飛鳥時代の古墳なのである→なぜ、こんな形にしたのか?ちょっと謎である。
この古代、日本全国の古墳様式が統一され前方後円墳とされた。。。古墳時代後期or終末期(前方後円墳が小型化し廃れていく時期)あえて、この形になったわけは?古墳時代終末期は、前方後円墳よりも、小型の方墳、円墳が造られていくから。。。こんな古墳もありか!


蘇我稲目の墓であったら、すごいことですね。。。蘇我馬子の墓とされるのが、石舞台古墳ですので。。。立地的には的外れではない話。しかも、石舞台古墳も前方後円墳ではないとされている。。。

 

↑石舞台古墳(蘇我馬子)の墓とされる(墳丘は流出して石室がむき出しになった古墳)。。。ここも、意外とピラミッド型の同様の古墳だったかもしれませんねぇ。。。親子ですから。。。十分にありえます。



こんなニュースもやってましたよ。。。私も並ぼうかと思ったが。。。止めた。ちょうど奈良県にいたのですが。。。

 

「奈良のピラミッド」に4千人行列 都塚古墳で説明会
(転載記事)

 

 石を階段状に積み上げた、国内では類例のない大型方墳とわかった奈良県明日香村の都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半ごろ)で16日、現地説明会があった。“奈良のピラミッド”を一目見ようと、約4100人の古代史ファンらが列を作った。午前10時の開始は約45分前倒しされた。

 

 
国内で初、奈良に大型ピラミッド方墳 蘇我稲目の墓?
 村教委と関西大の調査で、川原石を計5段以上(高さ4・5メートル以上)、階段状に積み上げた墳丘とみられることや、東西約41メートル、南北約42メートルの方墳であることがわかった。中国東北部から朝鮮半島北部を支配した高句麗(こうくり)の古墳と類似した特異な形態や規模の大きさなどから、大きな権勢を誇った大豪族・蘇我(そが)氏の礎を築いた稲目(いなめ、?~570)の墓との説が出ている。
 

 

 

 

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