まきむく通信の「巻向への旅」(箸墓古墳編) | まきむく通信(どうでもいいこと書いています!)

まきむく通信(どうでもいいこと書いています!)

ブログの話題として最近は登山記録が多いです。
読書記録とプラモデル、歴史など


Since 30.September.2012

まきむく通信の「巻向への旅」
箸墓古墳編

まきむく通信の原点となる巻向への旅の第2弾は、箸墓古墳編です。
 箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳ともいう)は、奈良県桜井市にある古墳

纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級でありその時代の最大級の古墳。3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳の代表とされている。この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王「卑弥呼」の墓とする(邪馬台国畿内説)説もある。
 ⇒ちなみに、私は卑弥呼は北九州の人と思っています。 

そして一部の畿内説論者が、邪馬台国を畿内説に誘導するがために、この古墳の築造年代も、なるべく古い方向に捻じ曲げられている。(新聞社も、その方が話題になるので追随している。その方々が、3世紀半ば以前の古墳としたい意図があるのである。)

箸墓古墳は、古墳の形態と、出土した埴輪などからも4世紀前半の古墳だと考えられる。


形のいい前方後円墳で、ぐるりと一周しました。
 
左が円、右が方形の部分
まさに、まきむくの旅にふさわしい...風景


 
  大市墓(箸墓古墳)
現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。

 
航空写真の箸墓古墳
 

 
 古墳の形状に沿って道路が作られている(古墳右側)カーブ。S字カーブならぬ古墳カーブ
 
 
前方後円墳は、時代があとになるにつれて、「墳丘全長」及び「後円部の直径」に比して、前方部が発達してくるとされています。この箸墓も古墳時代初期のものであり、後円部がかなり大きいですね!
だから、卑弥呼の墓と無理やり説をとなえる学者がいるのも確かではあるが、卑弥呼の墓とするには、まだ、新しい。

箸墓の被葬者(倭迹迹日百襲姫命大市)と天皇の関係
1:神武天皇
2:綏靖天皇
3:安寧天皇
4:懿徳天皇
5:孝昭天皇
6:孝安天皇
7:孝霊天皇 ⇒ 皇女(子)
8:孝元天皇 ⇒ 姉妹
9:開化天皇
10:崇神天皇  ⇒ 叔母
11:垂仁天皇
12:景行天皇
13:成務天皇
14:仲哀天皇
15:応神天皇 
16:仁徳天皇
17:履中天皇
18:反正天皇
19:允恭天皇
20:安康天皇
21:雄略天皇


卑弥呼の時代(魏志倭人伝)
239年:魏に朝貢
248年:卑弥呼没。台与女王に就く
266年:倭の女王、西晋に使者
-- 畿内は銅鐸の時代
280年以降~ 神武東遷



安本美典氏による説を支持しています。
●三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏から貰った鏡ではなく大和政権によって4世紀に国内で鋳造されたもの⇒4世紀以降の古墳から出土
●箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない(約100年の年代のずれがある)
⇒この古墳からは、三角縁神獣鏡は見つかっていない(ただし、宮内庁管理でまともな調査は行われていない)

↓過去の私のブログ記事「古代古墳の被葬者は誰か?」安本美典著 廣済堂出版も参照下さい!↓
http://ameblo.jp/omatsu1618/entry-11389866468.html
 
 
次回は、ホケノ山古墳編



↓古墳記事のまとめ↓
古墳好き「まきむく通信」の関連記事
http://ameblo.jp/omatsu1618/entry-11601789239.html




どうでも、いいことを毎日更新!
 原発被災地のフクシマに転勤希望をだしたサラリーマンのブログ
 「まきむく通信」
 http://ameblo.jp/omatsu1618/