若い頃から速かった。22歳、91年のベルギーGPでジョーダンに乗りデビュー。翌イタリアGPはベネトンに移って早くも5位に入賞した。フル参戦の92年はナイジェル・マンセル(英)やアイルトン・セナ(ブラジル)と戦い年間3位に。94年に有力チームではなかったベネトンで、8勝を挙げ王座に就くと、翌年も連覇。
フェラーリに移った96年からも、卓越した実力を発揮した。人気・伝統を誇る名門だが、79年のジョディ・シェクター(南ア)以来、年間総合王者を生み出せず低迷期が続いていた。シューマッハーはテストドライブを通じて、マシンの挙動を的確につかみ、改善点を指示、99年には車両製造者部門で16年ぶりに優勝、翌00年には、ドライバーズ部門でも年間総合王座に就くなど、名門復活の立役者となった。さらに、給油やタイヤ交換のピットインのタイミングを他チームとずらすことで結果としてライバルを抜くなど知略・戦略にも優れていた。もっとも、すり減ったり、十分に暖まっていなかったりしたタイヤでも速く走ってしまうシューマッハーのドライビング技術があってこそ取れる作戦でもあった。04年までの5連覇は歴代最高記録でもある。
シューマッハーの1強時代が続いたことで、F1人気の低迷もささやかれた。05年は1レース、1タイヤなどシューマッハー封じの側面もあったルール改正で低迷、米国GPでの1勝に終わったが、今年は再び速さを取り戻し、総合王座争いの首位に立つ。
惜しむらくはライバルの不在だろう。デビュー時の最速ドライバー、セナには速さで背後まで迫ったが、94年のサンマリノGPの事故でセナが急逝。PP回数など数字で上回っても、「セナがいれば」と言われた。ただ、これだけ長く全盛期を続けたことで、その声は封じたのではないか。98、99、00年に王座を競ったミカ・ハッキネン(フィンランド)も01年限りで引退。若手のキミ・ライコネン(フィンランド)やフェルナンド・アロンソ(スペイン)が台頭してきたが、ライバルと呼ぶには世代が離れていた。逆に彼らの登場で、安心して席を譲ることができたのではないか