ニート、フリーター、そして女性 | オマルプロデュース

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わたくし、オマルがなにかをプロデュースしつつ、無駄な日記を書いていこうかというサイトです。このサイトは俺の独断や偏見もたまに出てきます。それが嫌な奴はとっとけえれ!

このようなタイトルを見て不愉快に思う女性がいるかもしれません。しかし、ご心配はいりません。ニートとフリーターを悪く扱う内容ではありませんから。

 日本には30代で自分の会社を上場させた若い社長が七十数人もいます。僕はその彼らの大半と、知人や友人の関係にあります。意外かもしれませんが、彼らの多くはニートかフリーターの経験を持っています。

 実は僕も数カ月の準ニートをやりました。どこにも就職せず、アルバイトもしませんでした。就職した会社が倒産し、似たような会社にもう一度就職したくなかったからです。今のソフトブレーンを起業すべきかどうかを悩んでいたからです。何も悩まずに世間のお決まりコースを歩む人と、周りの非難を受けても自分の心に素直に問いかける人、どちらがより人間らしいでしょうか。

一時期の生き方に過ぎない

 ニートとフリーターは職業ではなく、人種でもなく、普通の人のある一時期の生き方に過ぎません。何も考えず「とにかく定職を持て」という人はたぶん定職だけで生きてきた人でしょう。「なぜ定職を持たなければならないか」の問いに、彼はきっとこう答えます。「俺はそうしてきたからだ」と。

 そういう人に限って「多様性だ」「変化だ」と言います。「多様性」とは、異質的なことを理解し認めることです。「変化」とは、やってきたことと違うことを学びやり遂げることです。ニートやフリーターは、社会の害虫のように扱う方は絶対に彼らのことを理解できません。明らかに自分が生きてきたスタイルを若者に求めています。

男性というより保守的な人の都合

 そこで女性の話に変わります。西京銀行では日本史上で初めて女性の副頭取が誕生しました。たくさんの女性支店長も誕生しました。りそな銀行でも同じような試みがあり、話題になりました。うれしい限りのチャレンジですが、話題になること自体が実は悲しいのです。

 日本の女性は決して先進国にふさわしい活躍をしていません。制度上の差別がなくても、運用上で差別があることは歴然としています。同期で入社したのに、なぜ女性の方がお茶を運ぶのでしょうか。成績が良いのに、なぜ女性が上司になりにくいのでしょうか。まず、なぜ女性が支店長になる銀行はこれだけ少ないのでしょうか。


地方では、今でも女性が男性の後にお風呂に入り、男の子にはお父さんと同じくおかずが1皿多くつく習慣が残っているかもしれません。「どうして弟がお父さんと同じように刺身があって私にないの」と疑問を持っていた少女は今、母親として同じことを自分の子供たちにやっているかもしれませんが…。

 「固有の文化」と言ってしまえば、他国民の僕は何も言えなくなりますが、数え切れない日本人の友達を持つ僕としては、気分が暗くなります。好きなことをやり尽くした占いおばさんがテレビで男尊女卑を訴える光景を見ていると、「男尊女卑は男性というよりも、保守的な人間の都合だな」と思うのは僕だけでしょうか。

人材の「宝庫」を「倉庫」にしないためには

 素晴らしい可能性と多様性を持ち、変化に強い人材。このような経営者が求めてやまない人材はニート、フリーター、そして女性に大量に潜んでいます。保守的な概念と硬直したマネジメント手法が邪魔となり、この貴重な人的リソースを生かすことができません。

 仕事が自分に合うかどうかは二の次、会社を辞めないことが重要。仕事をするかどうかは二の次、8時に会社に来て遅くまで残業することが重要。成果があるかどうかは二の次、サボらず努力することが重要。この種の美徳が求められる企業には、柔軟なワークスタイルと柔軟な評価制度はあり得ません。このような企業ではニート、フリーター、女性は活躍できる訳がありません。

 少子化と人口減少が問題になっています。しかし、既に生まれた人たちを生かせないのに、人口を増やしてどうなるでしょうか。ニート、フリーターと女性を生かせない社会は、いくら人を育てても単にそこにいるだけの「人在」にしかならないでしょう。ニート、フリーターと女性をビジネスモデルに取り込めない会社は、人材の宝庫が人材の「倉庫」になってしまうでしょう。