美大の後輩とは、あまり交流がない中、N村君は特別だったけど、
その同級生だったダイスケ君とはもっと話しをすればよかったと今でも悔いている・・・
東京都美術館で行われたau展でビニール傘を使った作品を作っていた男子学生がダイスケ君だった・・・
他の作品との絡みでその作品を移動させなければならなくなったダイスケ君たちを手伝ったというか、
気遣ったというか、とにかくそれがきっかけで西宮のアートスペースで会う度によく話しをした・・・
偶然、三宮かどこかの駅で会ったことがあって、
ダイスケ君「僕、就職が決まったんですよ」
443「よかったなぁ」
と言う会話をしたのも覚えている・・・
その後、ダイスケ君とは会わなくなった・・・
だいたい、当時は彼の名前すら知らなかった・・・
震災の年、N村君と大阪駅地下の本屋で再会して、毎日、電話で話すようになって・・・
その会話の中でN村君のダイスケと言う名前の親友2人の話を聞いていた・・・
1人はガラス作家のダイスケ
もう1人は造形師のダイスケ
私はすっごいヤキモチ焼きで、相手が男だろうが女だろうが関係なくヤキモチを焼く・・・
ガラス作家のダイスケは東京にいたけど、造形師のダイスケはN村君の近所に住んでいた・・・
造形師のダイスケの話をされる度に、「なんで、展覧会にダイスケと一緒で私を誘わないんだ!」と、ダイスケをライバル視していたので、造形師のダイスケとは一度も会うことがなかった・・・
まさか、それがあのダイスケ君だとは知らなかった・・・
その事実をダイスケ君が死んだって言う知らせと一緒に知ることになるとは・・・
彼が最後に作ったという「○んまちゃん人形ストラップ」・・・どこやったかなぁ・・・
もっともっと関わってたら、今でもダイスケ君と会って楽しい話をすることができたかもしれない・・・
N村君とあんな悲しい別れ方もしなかったかもしれない・・・
「就職が決まったんですよ」って、あんなに喜んでいた会社で命を絶つなんて・・・
せめて、学生時代に逝ったダイスケ君の彼女と天国で再会してることだけ祈っている・・・