何だか、ヘンテコな議論がまかり通っている様だ。

竹島を韓国が領有出来る、出来ないだって?

設問が間違っている。

韓国を、竹島から追い出せるか?
が問題なのだ。


竹島をあげる、あげないなどと言う話では無い。

「取られてしまって、取り返せない」
のが問題なのだ。

何か、思考の形態が甘っちょろいのだ。


ヨーロッパ諸国の承認?

そんなものは、国際司法裁判所(だったかな?)の裁定と同じく、意味を持たない。

実質的に、両国に影響力の有るアメリカは、当初、戦後の公文書に基づいて「竹島は日本の領土」としていたが、

韓国の猛抗議にあって、「竹島は韓国の領土」と、見解を変えた。

その時、日本の役人どもや、自民党は何をしていたのか?

何もしないで手をこまねいていたのだ。

私達は、こういう連中の責任を追及しなければならない。

くしくも、この連中には、福島第一原子力発電所の事故の責任も有る。

なぜ、ヤツ等の責任を追及しない?

もし、この連中が、日本国憲法のせいにしているのであれば、それは言い訳に過ぎない。

日本国憲法は、敗戦時の日本の知識人の叡智を結集したもので、今でも世界の最先端の憲法だと言うのが、『憲法学者』の一般的見解だ。
(中には、『武田教授』の様な、インチキ男もいるかも知れないが。)


それを、戦後、一貫して踏みにじり続けて来たのが、

大日本帝国の系譜を継ぐ役人どもと、自民党なのだ。

民主党も、今では、元自民党代議士どもに乗っ取られてしまっている。
この連中も、私達の日本国憲法を守る頼りにはならない。

日本国憲法は、日本国民にとって、『夢』でしかない。

『夢』について、ああだこうだ言ったところで意味が無い。

実質的に機能していないのだから。

それを踏みにじり続けてきた、役人どもや自民党、元自民党代議士どもが、何を言ったところで言い訳でしか無いのがわからないか?


それに対して、『現実』は?

日米安全保障条約が、『現実』なのだ。

私も知らなかったが、日米安全保障条約締結時に、

「こんな内容では、『日韓併合』と、何等違わないではないか!」と言われたと言う。

いくら何でも、普通の人ならば、戦前、『日韓併合』で、日本が韓国(朝鮮)を隷属させていた事ぐらいは知っているだろう?

だからこそ、金大中氏も、大作曲家ユン・イサン氏も、日本語がペラペラだったのだ。

この2人は、韓国(KCIA)によって、それぞれ日本と西ドイツから拉致された。
30年以上前、韓国は、北朝鮮と同じ様な国だった事がわかるだろう。


さすがに、敗戦時に、アメリカによって、英語の公用語化を強要されるような事は無かったが、

それ以外の内容は、日米安全保障条約と『日韓併合』は、ほとんど違わないのだと言う。

要するに、日本は、アメリカに隷属させられているのだ。

戦前の言葉を使うと、日本は韓国(朝鮮)を植民地としていた。

今の日本は、それと同じなのだ。


これが『現実』と言うものだ。

竹島問題で、韓国がアメリカに猛抗議した時、
日本の役人どもや自民党が何故、何も出来なかったのかは、私にもわからない。

田中角栄が政治的に暗殺されたりする様な状況に恐れをなしたのか?

実際に暗殺された首相もいる様だが。

韓国でも、竹島を勝手に韓国の領土にしてしまった李承挽(?:字なんかどうでも良いや)とか、何人も大統領が暗殺されていたのに…

この、アメリカに対する発言力の違いは、何なのだろう?

韓国の政治家は命がけで、日本の政治家は、利権を求めて集まった『烏合の衆』に過ぎない、と言う事なのか?

まあ、自民党の政治家に『愛国心』など有るわけが無いが。


何れにしろ、全ては、日本がアメリカに隷属させられていると言う『現実』に帰結する。

日米安全保障条約という『現実』に。


『現実』を見つめて、『理想』を目指さなければならない。

けれど、それは不可能に近い。


前の記事で書いた様に、『絶望』しかないのだ。


作曲家・ピアニストの高橋悠冶氏は、『「小林秀雄『モォツァルト』読書ノート』において、

「希望は戦術である。」
と、『希望』を捨てて、戦前の『体制』に屈した小林秀雄を批判した。

けれど、私達は、どこに希望を見出せば良いのだろう?

今度、高橋悠冶氏のコンサートに行って議論してみようか?

年月を重ねて、彼の意見も変わってしまっているのだろうか?

「希望は戦術である」とは、私が生きていく上での指針なのだが…