おじいちゃんが入院し、もう長くないと聞きお見舞いへ。

もう長くない

この言葉にぴんと来なかった。
だからもうすぐ死んでしまうのか…
と思いお見舞いに行こうと思った。

いつ行こうー?と親に相談すると

行こうと思った時に行かないと
明日がないかもしれないよ。

そう言われて
死が近いのを少し実感した。


実際にお見舞いに行くと
自分が想像していたお見舞いとはかけ離れていた。


想像ではお花を買って
おじいちゃんに声をかける
そんなお見舞いだった。


実際は…
病室に向かう途中
何とも言えない、弱いが苦しんでいるであろう叫びが聞こえてきた。

「お父さんの声だ…‼」
おばあちゃんが言った。

病室へ急ぎカーテンを開けると
そこには想像もしていなかった姿の
おじいちゃんがいた。


お正月に会った時とは
似ても似つかない姿。
驚いた。

知っているおじいちゃんよりも
二回りくらい小さい。

しっかりと話すことができず
目をつむったまま
手をバタバタさせ首を振り
唸り声で
痛みを訴えていた。


おじいちゃんが入院したのは4日前。

去年の夏あたりから体調を崩し
徐々に痴呆が入り始め
徐々に身の回りのことができなくなり
寝たきりになった。
特に目立った症状がなかったので、老衰だろうと思っていた。

おじいちゃんは病院嫌いで
こんな状態になっても
断固として病院へは行かなかった。

でも4日前
ついにおじいちゃんが病室へ行くことを承諾した。
覚悟を決めたように「お願いします」と言ったという。


それから検査をすると
末期のガンだった。
胆嚢癌が肝臓にも転移していた。
肝臓を覆い尽くしていた。
腎臓も機能を失っていた。
血管も脆くなり点滴も入れられない状態だった。

先生曰く
こんな状態なら強い痛みがあるのが普通だと。
さらに
通常肝臓がダメになると皮膚が黒くなってしまうが、おじいちゃんはとても綺麗な肌色の皮膚だった。
入院している今でも。

奇跡です。と先生言った。

おじいちゃんは気功や坐禅をしていたので、細胞が強かったのでないかと母は言った。


おじいちゃんが弱り出してから
母はよくおじいちゃんの様子を見に行くようになった。
その時母に聞いてきたのは
もうすぐ天国へ行く準備をしているかの様に、煩悩が削ぎ落とされ赤ちゃんみたいな寝顔をしていたと。


しかし目の前にいるおじいちゃんは
苦しんでいた。

その苦しみの声に
おばあちゃんが手を取りながら
ゴメンね…
と何度も呟いていた。

「お父さんゴメンね」
「痛みをとってあげられなくてゴメンね」
「どうすれば…」

泣いていた。

先生と話している時も
カーテン越しだったが、おばあちゃんが泣いているのはすぐわかった。


うめき声の中で時々
「お母さん」と言っていた。

おじいちゃんは殆ど意識のない中で
ずっとおばあちゃんの事を呼んでいた。


とにかく痛みをとってあげてほしいというおばあちゃんの希望。

主治医の先生と相談して
もう意思疎通はできなくなってしまうけど痛みを取ってもらうことにした。

たぶんあの「お母さん」というのが
おじいちゃんが発した
おばあちゃんへの最後の言葉なのではないか。


おじいちゃんは血管が脆かったので点滴ができなかった。
もう4日間飲まず食わず。
どんどん痩せて行く。
もちろん死んでゆく。

先生から
ここ4日くらいだと告げられた。

今日から家族が交代でずっとついていても良いという。


ここではじめて
「もう長くない」
という言葉を実感した。


覚悟していたことだが
やはりおばあちゃんは泣いていた。

おばあちゃんは今日からずっとついていたいと病院に残った。


私は泣かなかった。
泣いてはいけない気がした。

それまでは長くないと言われても
そうか…
と深く考えなかったのに
本人を目の前にしてやっと理解し
私が深く考えなかった日々を
おばあちゃんはどんな思いで過ごしてきたのだろうと思うと、
少なくともおばあちゃんの前では泣いてはいけない気がした。

正直、最初病室に入った時は
少し他人事の様に思い、少し引いてしまった自分がいた。
手を握るのも躊躇してしまった。

おばあちゃんと母が先生の話を聞くために病室を抜け、おじいちゃんと私の2人だけになると…

私はおじいちゃんの手を握り
涙を堪えていた。

不思議と今までのおじいちゃんとのやりとりが走馬灯のように浮かんだ。

おじいちゃんは遊びに行くたびに
虫眼鏡で手相をみてくれた。
すごく良い手相だ‼これはべっぴんさんになる!と。

会うたびに
べっぴんさんになったなぁ!と褒めてくれた。

正月はいつもラグビーの試合を見ていた。

自宅でお酒を漬けていた。
梅の他にフルーツは何でも漬けていた。

赤い箸袋をみて
戦争の赤札ーと言ったら怒られたっけ。

そんなことが巡っていた。

いつからか、あまりおじいちゃんの家に行くことがなくなった。
母はおじいちゃんと確執があったから。

自分の親の死を間近に感じると、今までのことがなかったかの様になると母は言った。こんな風になるとは自分でも驚きだと。

そんなことがあったから、最近おじいちゃんには馴染みがなかった。
しかしおじいちゃんの手を握り一気に思い出す。


あと4日です。
この4日はそれぞれにとって違う長さなのだろうな。

きっと私にとっての4日と
おばあちゃんにとっての4日は
全く時間のスピードが違うと思う。

私はきっと病院を出れば
そのうちおじいちゃんのことを忘れ
4日間を過ごす。

おばあちゃんはきっと…
あと4日しかおじいちゃんと居られない、4日しか時間がない。そう思うのではないか。


おじいちゃんの生き方が正しかったのか、それはわからない。
定期的に病院に行っていれば、もっと早く病院行っていれば…
寿命は延びたはず。

でも病院で治療をしながら?

おじいちゃんはもっと生きられたかもしれないけど、
おばあちゃんと最期の最後までずっと一緒に居られた。

どちらが正しいのか
その答えはこの先も出ないだろう。

でもおじいちゃんにとっては
幸せだったんだろうなと本気で思う。


最期の時は必ず来る。
自分はこうしたいと思っていても、最終章は自分でコントロールできないのだと思った。


今まで死を身近に感じる経験をしてこなかった。
色々と感じることがあった。
色々な感情があった。

身近な人の死は誰にでも必ず来る。
そこで人は色々なものを得るのだろう。
この経験は人生において必須なのだと改めて感じた。




明日もう一度病院に行こう。
今度は夫も一緒に。



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