今日あったことなんて何もない。競艇で負けただけだ。コロナの緊急事態やらマンボウやら世の中の自粛を煽る声が聞こえてくるが、ワクチンすら打った人なんてオレの周りに今現在いないし。

 馬鹿言うな。政治家やら御用医師、マスコミもまったくダメだ。くだらない情報を垂れ流してる。我々は怯むことなく多いに遊んだらエエねん。昔、徳川宗春は遊びを奨励した。人は人とリアルにまじりあってこそ人の道を学ぶものだ。多いに遊べ。怯えてはならない。覚悟だけだ。結局、我々日本人は罹患することより、罹患することの差別を恐れているのではないか?(まあ、どっちもだけど)結核やハンセン病、そしてエイズ。日本という国は差別のすさまじい国なのだ。ひと言でいうと差別大国である。それは歴史的に国民感情の中にある謂わば、遺伝的なものだ。コロナになった高校生はその高校をやめた。コロナにかかり住み慣れた場所を離れざるをえなかった方もいると聞く。しかし考えてみて欲しい、かつてこの国でも結核になっても恋愛に燃えた男女がいた。(結核が不治の病と言われた頃だ)ハンセン病は誤解のまま当事者の人生を奪った。エイズは手指接触で感染なんかしないが未だにそう思ってる馬鹿がいる。無知な差別大好き国民が今の日本人の根っこにある。オリパラなんてキレイごとやる前に本当の意味で差別のない、他人を思いやる、幸福感の感じる国づくりを政治家にはのぞむし、我々も差別しない優しい国民でありたい。(まあ田舎根性があるうちはダメだ、村八分は田舎者のための言葉である。オレは田舎は好きだが、田舎の村八分の体質は大きらいだ) 

 2、3日前も電車が止まった。自殺である。ひどい国になったものだ。

 われわれ都会の孤独びとができること、それは今こそ、死ぬる覚悟(おおげさな表現だが)で大好き事、そして人とまじわり、まぐわい、多いに遊ばなきゃいけないということだと思う。オレはそれで死すとも悔いはない。なぜなら、田舎人でないからだ。

 罹っても罹らずとも、人生の時間は一刻一秒確実に減っていくのだから。

この世は諸行無常である。