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30代サラリーマンのOMです。
読書編、まだ続きます。
今回は東野圭吾さんの変身です。
変身といえば、フランツカフカにも同名の書籍がありますが、それとは別のお話です。
脳の一部に別の人の脳を移植したことで、徐々に人格が変わっていってしまう物語です。
読みながら、ダニエルキースのアルジャーノンに花束を、を思い出しました。アルジャーノンに花束をでは、主人公が最後に元に戻っていくので、その点は違いますが。
(技術的に可能だとして)脳の一部、または全部を入れ替えたとき、その人は、身体の持ち主のままといえるのか、または新しく移植してきた方の脳の持ち主であるとするべきなのか。
多分、この点についての明解な答えはないと思うのですが、それは小説の中にも出てきたように、人の精神というか、意識みたいなのがどこに宿っているかみたいなそういう議論になって、何となく宗教的な話に行き着くからかなぁと感じています。
こういうことには明るくないので、解釈として間違ってるかもしれません 笑
それと、ロボトミー手術の話が出てきて、それを確認するテストみたいなこともやっていて、ほんの一部分の描写でしかないのに、作家はこういうことまで勉強して小説を作っているのか、、という点で驚きました。
右脳と左脳をつなぐ部分(脳梁)を切ると、それぞれの脳の情報交換ができなくなってしまうのですが、そうすると、右目を隠した状態で左目で見たものを右手でとる(右脳で認識した情報を左脳に伝達して運動させる)ことができなくなるらしいです。
脳梁を切断すると、精神的な障害を抱えている人が安定するらしいのですが、上記以外にも色々な弊害があるらしく、今ではやられてないみたいです。
ちょっと想像ができないですが、なんだかコワイ。。