1981(昭和56年)11月27日後楽園ホールでの開幕戦。

カードはファンクス対シン・上田との初対決です。このカードは。そして最初で最後だっと思います。

他に当時あった参加チームでのシングル戦を「夢のカード」としてマッチメークしておりましたがこの開幕戦でレイス対ブロディという好カードも実現しています。

ただテレビ岩手は放送していません。多分この寒い時期なんで岩手競馬中継だったかもしれません。残念です。このカードを観るのにも結局30数年を要しました。

参加チームが発表されたときは残念な感じだったんですが今思うと結構、渋いチームです。中学1年にはその渋さが理解できませんでした。

このあと毎年最強タッグで好カードが用意される札幌大会での馬場・鶴田対ブロディ・スヌーカ、シン対シークのシングル戦、どちらも決着つかずのドローです。

そして当時、中一ながら赤い見出しの東スポを愛読していたワタクシはテレビ中継もままならいこのリーグ戦に胸が熱く騒ぐのでした。

11月30日愛知県体育館でのテリー対ブロディ、レイス対シン、そして公式戦の馬場・鶴田対天龍・阿修羅はリーグ戦後に最強タッグ特集として放送するんですが、それが一周遅れのテレビ岩手では正月特番と重なり当時ネット局ではなかったフジの「新春かくし芸大会」とかによって見れなくなるんです。

でもなぜか最強タッグの放送だけは毎年観れました。東スポでの情報、といってもこの夕刊のスポーツ新聞ですら岩手には2日遅れですがそれでも速報性はぴか一です。

ハンセンが蔵前優勝戦の前日、横須賀大会に旧友のブロディを訪問という記事を掲載します。それほどセンセーショナルな記事ではなかったので中一のワタクシは素直に信じました。そして新日の放送がないがためにハンセンがどんなに凄いのかも、ラリアットがどんなものかもしらないのでありました。

ところが翌日の東スポ一面はハンセン乱入、テリーへの衝撃のウェスタン・ラリアットととても全日の雰囲気にそぐわない記事になりました。

それから2週間後の放送はもうそりゃ日テレも残しておくよなって感じの歴史的な事件でした。

それまでの馬場のイメージを払しょくするハンセンとの攻防があり、いよいよ期待の翌年1982年へ。

多分、マッチメークは佐藤昭雄に代わっていたと思います。