白人化という言葉も聞き慣れないがホワイトウォッシュというともっと聞き慣れないのが日本の日常のようだ。whitewashという英語の日本語化だ。「マンガだから髪の毛の色や肌の色、体型は創造のもので自由ではないか、マンガのキャラクターの肌の色を薄くしたくらいだから目くじらを立てて騒ぐことはない、マスコミも暇なんだな」という趣旨の話を隣に座った人が話していた。詳しくは聞いていないが、要するに「大げさに騒がなくてもいい、マンガなのだから」ということらしい。日清食品は批判を受けたアニメを取りやめたらしいが、会見の中で謝罪し、「意図的に白くした事実はない」「意図的ではない」「配慮が欠けていた。今後は多様性の問題に、より配慮したい」と述べた。「意図的ではない」という弁明はハリウッド映画の数々の名作が批判されるときにも聞く、謝罪の常套文句だが、メディアは日清食品の対応や大坂なおみの即妙な回答を取り上げるだけでなく、日本全体にwhitewashに対する意識がどの程度あるかどうかも取り上げる必要があろう。日本の漫画やアニメには無国籍の人物のようなキャラクターがよく登場し、そうでありながらもどこか西洋的であることへの憧れのようなものがあるという。そういえば昭和の三羽がらす(萩尾望都、里中満智子、池田理代子)の作品にもその傾向は色濃く出ている。「肌の色をこのように描くのはマンガの常套であり、日本の漫画の描き方でしかなく、そこに差別感覚などないのだからマンガのキャラクターのwhitewashを大げさに取り上げてニュースにするの騒ぎすぎだ」とするのは的がはずれている。このBLOGOSの記事の中にも「漫画での描かれ方をめぐる騒動で台無しにされた」という表現が使われているが、「明らかに私の肌は褐色だ。かなりはっきりしている」と発言し、「今度また私を描いたりすることがあれば、その時は私に相談すべきだと思う」と言った大坂なおみ本人の気持ちは、「台無しにされた」と言うものとは異なるだろう。「台無しにされた」という感覚の背後に「たいしたことではない」というようなアナクロな感覚があるように思う。その意味ではこの質問をされたときの大坂なおみの対応、「この会場には日本人の記者が多いけど、どう思うか」という逆質問はひいき目なしに素晴らしいと思う。
