今宮城県登米市の災害救援センターという所に来ています。全国からボランティアと物資が集まってくる場所です。一昨日の時に着いて支援物資の搬入仕分け作業をし、晩ご飯に炊き出しカレー汁をいただいて、ミーティングをして、翌日の物資搬出準備をして、車の中で寝ました。翌朝も炊き出し白飯汁をいただき、ミーティングをして、準備の続きをして、お昼ご飯パン、野沢菜、チーズを持って、物資を載せて石巻へ向かいました。被災地の様子はテレビで観てはいましたが、直に見ると体中に戦慄が走りました。ある程度道路は通れるようにしてはありますが、悪路がたくさんあり、震災の爪跡の大きさを物語っていました。避難所お寺、旅館、保育所、公民館、個人宅などに赴き、物資を届け、被災者の方々のニーズを聞いて回り、翌日以降に配達できるよう一覧浮ノ落としていきました。皆さん基本は明るく振る舞っているのですが、時折見せる儚げな撫薰ゥるたび、自分自身涙を堪えるので必死でした。避難所間、被災者同士の軋轢も出始めているそうです。家が流されてないのになんで避難所にいるのさみたいなことがあるそうです。精神状態は限界をとうに越えています。安定剤を物資リストにあげる方、実際に飲んでいる方もいました。電気は発電機、水は給水車でなんとかなっているところが多く、節電節水しながら過ごされていました。一軒の避難所で玄関入ってすぐのスペースで子どもたちが折り紙をしていて、これは行くしかないと思い立ち、名栗で習得した折り紙エアークラフトを教えてあげました。とっても喜んでくれましたエアーさんに感謝です今日も同じ地区を回る嵐閧ナす