今更ながら、録りだめした「まっすぐな男」を見ています。

佐藤隆太さんのイメージとも合っていて、ぐいぐい見てしまいましたビックリマーク

 

でも、「曲げられない女」のときも思ったけど、

「まっすぐ」であることって、時には人のことを傷つけたりもするんですよねしょぼん

私も、割と「曲げられない女」だったりします・・・・・

「曲がったこと嫌いでしょ」って言われたことあるし、

「直球過ぎる」とか「正論言われても」って言われたこともあるかなあせる

でも、反面、本音と建前とか苦手だし、嘘も苦手だし、表裏なくまっすぐ生きているつもりなのに

言葉足らずというか、頭の回転が遅いせいなのか、誤解されたり、悪い意味にとられたり、

「表裏ありそう」って言われたり・・・・「あるよね」なら分かるけど、「ありそう」って、何むかっって悲しくなりました。

そんなにいちいち疑っていて疲れないのかしらダウン

でも、何か、そういう、嫌な体験をして、人のことを疑うようになったのかもしれないけど。

あるいは、私は思ったことを言葉にするのが苦手なので、

「言葉が出てこない・・・・」って考え込んじゃったり、

時々、言葉にするのを諦めちゃったりするときに、「何か隠してる」って思われたりしているのかなはてなマーク

あるとき、友達が「裏表がないという難しいことを実現している人」って言ってくれたことがあって、

それは嬉しかったのだけど、逆に、他の人はそんなに裏表があるものなのかしらはてなマークって心配になったりしょぼん

 

でも、最終的には、自分が間違ったことをしていないビックリマークってことが分かっていれば、

あとは、自分のことを理解してくれる人が一人でもいれば、救われますよねアップ

本当はみんなに理解してほしいけど、それは難しいんだろうなあ。

 

それとは別に、「まっすぐな男」の中で、佳乃さんが健一郎さんとの出会いについて話す場面のコト。

ぐぐっグッド!ときたんですビックリマーク

まさに今の私・・・・・・・・・・・・・・。

 

佳乃さんが、進入禁止の交通標識に気づかず道路を進んでしまい、警官に呼び止められたところへ、

たまたま健一郎さんが通りかかりました。

「標識に気づかないあなたが悪い」と取り締まろうとする警官に対し、

「標識が木の枝に隠れて気づかれにくい」ことを健一郎さんは指摘。

また、「道の途中ではなくて、入り口に立って、人々が間違って進入しないように見ているべき」と主張。

更には、枝の伐採まで立会い・・・・・・・・。

そして立ち去ろうとした健一郎さんを佳乃さんは呼び止めたのです。

恐らく、名前や連絡先を聞いたのでしょう。

そして、ちょくちょく集まる飲み仲間の一員にまでなったのです。

 

「今を逃したらもう会えないと思ったから・・・・」(正確な引用ではないかも。すみません)

と微笑みながら熊沢さんに話す佳乃さん。

あぁー。そうなんです。

私は、その瞬間を逃してしまったんです汗汗

 

先日、燕岳で出会ったお兄さん。

途中でたまたま出会って、そのまま一緒に下山しました。

その後、15分ほど一緒にお話しました。

私は遅れて降りてくる友達をそのまま待っているために、お風呂へ向かうお兄さんとお別れ。

多分、一緒に下山しただけだったら、「楽しい人だったな」で終わったと思うんです。

下山後に更にお話したことで印象が強くなって。

そんな短時間で、「ああ、この人、すごくいい人だな」っていうのが分かったし合格

恋愛感情とかそんなものではなくて、ただ純粋に、また会いたいんですチューリップ赤

友達になりたいビックリマークとも思うけど、またどこかの山で会って、立ち話するだけでも。

でも、山なんて、数知れないほどあるし、たまたま同じ日に同じ山に登っていても出会う可能性は・・・・ダウン

「11月の頭にまた登ろうと思ってるんですよ~」とお兄さんは言っていました。

一緒に登りたい、って言ったらOKと言ってくれるくらいの気さくな雰囲気で。

(実際は都合が悪いから一緒には登れないけど・・・・・・・)

せめて名前だけでも聞いておけばよかった。

思い出すたびに名前が分からなくて気持ち悪くて、勝手に呼び名つけちゃってるのですあせる

もし連絡先手紙とか聞いて友達になれていたとしても、住んでいるところが離れているから

実際に会えるのは年に数回だっただろうけど。

でも、それは今の山友達も同じで、だけど、久しぶりに会っても久しぶりじゃない感じの自然な感じで。

このお兄さんとは、そういう山友達になれたんじゃないかなあ、って勝手に思っているのです音譜

実際は、お兄さんは登山のスピードとかも速そうだから一緒に登れないかもしれないけどあせる

スタートと山小屋だけ一緒で、道中は別々でも、それはそれで楽しいかもだし。

 

そんな感じで「あぁーーーー」っと思っているときに佳乃さんの言葉を聞いたから、

余計に、突き刺さったのです。

もう二度と会えないかもしれない人を相手に、何を躊躇していたんだろう、って。

昔、高校生の頃に突き動かされた「スクルージ」の精霊の言葉、

「愛する人が目の前からいなくなってからでは遅いのよ」って言葉。

あの言葉に押されて、私はあの時、大好きな人に告白したんですラブラブ

実際は、今回は、愛はもちろん、恋とも違うのだけど・・・・・・・・

でもこの言葉って、恋愛に限ったことではないと思うんですよね。

槇原敬之さんの「1秒前の君にはもう2度と会えない」を聞いたときにも思ったけれど、

そのときそのとき、一瞬一瞬って、本当に、取り返しのつかないもので。

 

あーー、でも、本当は、あのときは、何も考えずに「楽しかったなあ」って思って、

もちろん、「もう少し話したいなあ」とは思ったけど、

多分「近所にいたら友達になりたかったなあ」とか思っていたよう気もするけど、

特に深く考えずに、他の、一言二言交わした人と同じ感じで、

「ありがとうございましたー」ってお別れしちゃったんですしょぼんあせる

それが、その後、どんどん、会いたい気持ちが強くなってきて。

あのとき、既に、これくらい思っていたら、聞けていたような気がするんですよね。

あと10分一緒に話していたら、聞いていたかも。

あるいは、お風呂の受付をしているときに

「間に合いましたね」ってお兄さんが声をかけてくれたときに、

私が友達と一緒じゃなくて一人だったら、もう2言3言話していたかも。

「かも」なんて空想、何の役にも立たないですけど爆弾

 

このブログや、山行を記したブログをたまたま目にしてコメント残してくれたら、なんて

すごくありえないことを考えたりして。

そのお兄さんが勧めてくれた本も読み始めちゃったし。

ここまで来たら、なんか、まるで恋しているみたいですよね(笑)

本当に違うんですよ

 

でも、この気持ちを鎮めておかないと、次に山に登っても

「会えなかったな」なんて、マイナス要素が増えてしまいそうで、心配・・・・・ショック!

ほんと、どうしようダウン