今回の記事では前に十分に説明できていなかった『荒木飛呂彦論─マンガ・アート入門』における、小説と漫画の連関性についての加藤先生のすごい指摘を中心に書いていきたいと思います。
まず加藤先生は、ディオが「人間をやめる」と断言して吸血鬼化したパート1の主人公の名前が「ジョナサン」であることにふれて、これは19世紀にブラム・ストーカーが書いた吸血鬼小説『ドラキュラ』からの影響であることを示唆します。というのは、この吸血鬼小説の主人公の名前もまた「ジョナサン」であるからです。これはまた、ジョジョのパート1での時代設定が19世紀であり、またブラム・ストーカーの『ドラキュラ』も同じく19世紀のイギリスを舞台にしているという事実からも納得できることであるでしょう。加藤先生はこのような実証的な見地からも、19世紀末の吸血鬼小説『ドラキュラ』と『ジョジョの奇妙な冒険』との関係性を的確に分析しているのに、ネット上では「ジョジョ立ち」の分析がないといった、俗悪な考え方をしている人たちが多く存在して、その議論の貧しさに悲しい思いがします。
また加藤先生はパート3の前半部分において、主人公たちが船上でオランウータンに襲われる場面を19世紀の傑出したアメリカ人小説家エドガー・アラン・ポーの世界文学史上最初の「探偵(推理)小説」である『モルグ街の殺人』を荒木飛呂彦が引用していることを、見事に見抜きます。エドガ―・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』が世界文学史上最初の「探偵(推理)小説」であると言える加藤先生の知識量にも感服しますが、何気なく見過ごしてしまいそうな場面を的確に小説と関連づけられる加藤先生の緻密な分析力は本当にすごいなと尊敬してしまいます。そしてこの場面で大渦巻が発生しているのも見逃しません。これも同じくエドガー・アラン・ポーの短編小説「メールストローム(大渦)に呑まれて」との連関であると、加藤先生は指摘するのです。
さらに、オランウータンが登場したり、また作中で犬や鳥が戦闘に関わってくるところは、日本漫画史の原点とも言いうる絵巻物『鳥獣人物戯画』の延長線上にあることにもふれて、きちんと漫画史的な考察を加藤先生はしています。
他にも、本書で語られている、芸術絵画家たちと荒木漫画との連関性について述べるなら、イタリア人画家パルミジャーノの描いたくねくねとくねっている蛇のような手と『ジョジョの奇妙な冒険』における登場人物たちの「奇妙な」手との類似性。また万能の天才といわれるイタリア人画家レオナルド・ダヴィンチの有名な油彩画『モナリザ』の手に強く惹かれる吉良吉影の「奇妙な」欲望。このそれぞれを加藤先生は偉大な芸術家たちと照らし合わせて、それが『ジョジョの奇妙な冒険』でどのように影響を与えているのか明晰に言及しています。
最後に加藤先生はダイレクトな手描きの方が、コンピューター画像よりも魅力的であると述べていますが、しかし傑出したコンピューター・アーティスト、ビル・ヴィオラによる「額縁つき集団肖像画」のような作品は別だと言います。このような現代芸術の最前線を走るビル・ヴィオラまで言及できるところにも、『荒木飛呂彦論─マンガ・アート入門』の豊かさがあるとぼくは思います。
