まったく☆たちのことではないけれど
この病気で苦しんでいる一部の方々が
少しでも落ち着いて、最後の決断ができるよう
娘の病気が手術に至った経緯、そして治療について
記録を残しておこうと思います。
始まりは、娘が中1の時。
4月に行われる健康診断で
「そくわんの疑いがあります」
と書かれた紙を学校からもらってきたこと。
「そくわん?」
正直、そくわんという病気すら知らなかった。
どうやら背骨が曲がっているらしく、
整形外科へ行くよう指示されていた。
娘を連れて、整形外科へ連れていくと
レントゲンをとられ、診察の結果、
背骨が29度曲がっていると言われ、
紹介状をもらうことになった。
紹介された病院は
神奈川県こども医療センター
奥住医師
この奥住医師。
側湾症については有名のようで
かつ、この病院の副院長らしい。
紹介状を持って中1の梅雨の時期。
これから5年後に手術になるまで、
奥住医師とのおつきあいが始まった。
娘は、まだ成長期のため、
放っておけばどんどん背骨の曲がりが進行するらしく
すぐに装具治療を進められ、装具を作ることに。
この装具、胸から腰まであり、
スカートがまず入らなくなり、
外出時も必ずつけておかなくてはいけなくて
思春期真っただ中だった娘には、
とても酷な治療だった。
学校にも病気のことを理解してもらわなくてはならず
担任に話に行ったこともある。
学校側は快く配慮してくれて、集会の時など
床に座れない娘のためにいすを用意してくれたり
体育などの着替えの時も保健室の利用を許可してくれたり
娘はなんとか中学生活を乗り越えた。
高校に入って、
娘の側湾の進行は止まらなかった。
45度を超えは始めて、50度を過ぎると
手術を検討しなくてはいけない。
高校に入って、装具を一日中つけることをしなくなっていて娘に
何度も話して聞かせたが、本人は痛みがあるわけでもなく
いたって、普通にみんなと同じ生活ができているから
自分の体の危機をあまり理解していなかったんだと思う。
私は、手術で背中を30センチも切り、背骨にボルトで
鉄柱をつけるなんて想像しただけでもこわかった。
まだ10代なのに、背中に30センチの傷ができる。
これから恋愛とかするのに、それを気にして思いとどまることも
あるかもしれない。
そんな娘が不憫で、それだけは避けたかった。
しかし、高2の秋。
側湾はとうとう57度になっていた。
もう手術は避けられない。
私は震えた。医師の言葉に震えた。
「・・・手術お願いします・・・」
苦渋の決断だった。
仕方ない。
仕方ないことなんだと自分にいい聞かせた。
そして、娘に申し訳なくて
健康に産んであげられなくてごめん。
ママが代わってあげられなくてごめんと
泣いた夜もあった。
手術は2月か3月と言われたんだけど
3年の5月には海外への修学旅行があった。
手術はそれが終わりではなく、そのあと半年間は
コルセットをつけて生活しなくてはいけなかった。
そのこと考えると2月に手術してもコルセット生活の
間に修学旅行となってしまう。
修学旅行ではホームステイもあるから
コルセットの説明も難しい。
娘と相談して手術は欠席に影響がない
夏休みを利用して行うことにした。
無事に3年になり、修学旅行も期末試験も終わった7月8日。
娘は7/16に控えた手術を前に入院した。
娘が入院したのは、併設してある肢体不自由児施設。
そこはその名のとおり、肢体不自由な児童が入院(正式には入所)している。
その子たちと同じ部屋でしばらく過ごすことになった。
娘はクールなので、初対面とはあまり自分から話すことはない。
こんな娘が、同じくらいの子と仲良く過ごせるか心配だったけれど。
携帯は一切禁止と言われたので、ipadを持たせLINEで
連絡がとれるようにしていた。
3回の貯血も行って、迎えた7/16の手術の日。
この日は手術が朝の8時からだったので、
ご家族は7時半にはきてくださいと言われていた。
うちから病院まで車で2時間はかかるので
(何時おきだよぅ)と思った私は、病院の近くにホテルをとった。
無事に起きれて病院へ。
病室に行くとまだ娘はいつもどおりで
ストレッチャーを用意してくれたのになんと
自分で歩いて手術室まで行ったのだw
娘は元気に手を振り、手術にむかった。
私は、福岡から来てくれていた母といっしょに
それから8時間の手術を待った。
そして夕方5時半くらいに、奥住医師に呼ばれた。
「手術は終わりました。いま、縫合しています。
1時間くらいしたら起きますよ」
そして、見せられた手術後のレントゲン。
ちょっとグロいですけど、同じ病気の方のために公開しますね。
左が手術前で 娘は 70度
真ん中が背中から。右は横から。
手術後は、70%戻ればいいところを
割とよく戻せたみたいで、本当にほっとした。
腰のところをボルト5本でしめてあとはフックをかけている。
傷はこんな感じ。
とうとう背中な手術のあとが・・
こんな鉄がはいってしまった・・
でも、これで肺機能低下も心臓の病気の心配もしなくていい・・
背骨が曲がってるからと、卑屈にならなくてもいい・・
プールにも温泉にもいけないと言ってたけどいけるね・・
医師からの話を聞きながら
いろんな想いがあふれ出てきていた。
医師の説明のあと、1時間で目覚めるはずが
夜の9時を過ぎても手術室からでてこなかった。
全身麻酔は、ほんとに数%の確立で目目覚めないこともある。
麻酔の医師が、「こんなことは初めてです。」と少しあわてていて
それが余計に不安を煽っていた。
ただ、自発呼吸はしているけど、麻酔が聞いていると
呼吸低下している状態で、心臓にはよくない。
母と私は会話もなく、静かに待っていた。
そしてやっと夜の10時ごろ手術室から娘が出来たけど
まだ半分目覚めていない状態で、声をかけても
目はうつろで手足をばたばた動かしていた。
そのままICUに入り、まだ目覚めない娘を残して帰宅した。
翌日はICUへ行き、もうそのまま肢体不自由児施設へ戻った。
寝たきりの状態で、食事も寝たまま。
寝返りも一人ではできなくて、看護師さんを呼んでやってもらっていた。
私も母も、行くのは行くけど、何もできなくて
ただ、顔を見るだけの時間ばかり過ぎていた。
1週間もすると、娘は起きれるようになり、
車いす生活が始まり、歩行訓練が始まり・・・
2週間もすると、もう元気になっていた。
そして、コルセットを作り、
退院後のシャワー指導を受けての外泊。
退院後は、お風呂意外は24時間コルセットをつけたまま。
そしてお風呂も介護用のいすを利用して
座ってコルセットをはずし、私が髪の毛と背中を洗ってあげて
体を拭いたらまた座ったままコルセットをつけて終わり。
これができたら退院してもいいので、
無事に14日に退院した。
退院の前に、施設で夏祭りがあり
浴衣を着て参加できたことは娘にとって嬉しかったらしい。
いろいろ愚痴を言っていたけれど、「先輩」慕ってくれて
同室の子達と仲良くなれてほんとによかった。
みんなお盆休みで外泊しちゃっていたから
逢えなかったけれど色紙ももらって嬉しそうだった。
でも、もう二度と逢えない。
施設は退所したら入れないから。
でも、きっと彼女たちも元気で辛いことも乗り越えてくれることを祈ってる。
長くなっちゃったけど、娘は退院して元気です。
夏休みだから、自宅で療養も十分できたし。
ただ、満員電車や自転車禁止なので(転倒厳禁だから)
学校始まったらしばらくは朝は車で送ることになりそう。
帰りは、満員電車じゃないから電車と歩きで帰ってもらうしかない。
こんな時。
一人親じゃなかったらちゃんと送迎できるのに。
仕事をしないで、ちゃんとみてあげられるのに。
そんなこと考えてしまうけれど・・・
きっと娘は乗り越えてくれる。
そう思うことにした。
これから受験一色で頑張らないといけないし
家庭教師もお願いしたし、1月の一般試験を向けて頑張ろうね。
最後に。
私は手術をしてよかったと思います。
娘の体に傷を作ってしまったけれど
娘のように重度の曲がりのお子さんは
肺機能と心臓の病気が併発する心配があるから。
手術をしてからも、コルセットでの固定や、1年間体育禁止。
アトラクションなども2年間禁止など制限があるけれど。
あのまま進行させてしまったら
もっと大変なことになってしまっていたと思うから。
すごく悩みます。
これは、母親として娘の体に傷を作るなんて
自分が代わってあげたいくらい辛いことでした。
でも、娘さんとよく話しあってください。
これは本人の意思がないと、無理じいはできないことですから。
でも、やっぱり装具治療で曲がりを止められる方もいます。
だから、装具治療を頑張るように言ってあげてください。
それでも・・
どうしても進行してしまったら手術を考えてあげてください。
この娘の手術の記録が
少しでも役に立ちますように。