先日、娘のお友達のお母さんから、とても強い言葉の連絡を受けました。
内容は、娘が下品な言葉を使ったこと、そして相手やご家族を深く傷つけるような発言をした、というものでした。
読んだ瞬間、胸がぎゅっと締めつけられました。
ショックで、頭が真っ白になって、「私は何を間違えたんだろう」「母親として失格なんじゃないか」と、心の中で自分を責め続けていました。
娘は一部について「言っていない」と否定しています。
何が本当なのか、正確なところは分かりません。
でも、ひとつだけ確かなことがあります。
それは、「相手が深く傷ついた」という事実です。
事実がどうであれ、
誰かが傷ついたなら、そこには向き合わなければならない。
親として、
大人として、
「ごめんなさい」と言う責任がある。
だから私は、直接会って謝る場を設けることにしました。
ただ同時に、こうも思いました。
私は、娘の“すべて”を背負う存在ではない。
娘は私の所有物ではなく、未熟ながらも「一人の人格」なのだと。
子どもは、
感情の扱い方も
言葉の重みも
まだ知らないまま、
世界に放り出されています。
間違える。
傷つける。
そして、そこから学んでいく。
親の役割は、
「失敗させないこと」ではなく、
「失敗から立ち上がれる場所になること」なのかもしれません。
今回の出来事で、私は大きな学びをもらいました。
- 誠実であることと、自分を犠牲にすることは違うということ
- 謝ってもいい。でも、私が“悪者”になる必要はないということ
- 子どもは、親の管理物ではなく、育っていく“存在”だということ
そして何より、
「ちゃんとしている母」ほど、
一人で抱え込んでしまう、ということ。
私はずっと、
“ちゃんとした母でいなければ”
と思ってきました。
でも、揺れてもいい。
苦しくなってもいい。
分からなくなってもいい。
それでも、母でいていい。
この出来事は、
私を責めるために起きたのではなく、
- 人との境界線を学ぶため
- 感情と事実を分ける力を育てるため
- 子どもを信じて見守る母になるため
今日も、完璧ではない私が、
完璧ではない子どもと、
一緒に生きています。
それで、いい。