割とよく気付く事が、貧しい家の子は「資源の総量は決まっていてそれを分ける」という発想をするのに対して、豊かな家の子は「資源は各々が工夫で作り出す」という発想をする。これが階級の継承を部分的に担っている様だ。

https://x.com/verdamil/status/426241675925925888?s=20 ( Twitterより引用転載)

 

「初っ端から行き成り何だ?、今日は」と思われたことだろう。

私が生育した家庭もそうだが、大多数の日本人の思考は冒頭の文書前半同様“「資源の総量は決まっていてそれを分ける」という発想をする”の思考ではないかと思う。

私の思考は典型的日本人思考ではないので「(この世に)無ければ作り出せばいい、足りなければ増やす方法を考えればいい」と思考するのだが、そうなると一般的かつ典型的日本人と話しが噛み合うわけがない。

故に、典型的日本人社会の中で融合、調和などできるはずもなく、私の生育家庭構成員とも意見が合致するどころか水と油状態になるのは当然なのだろう。

 

私の“現代日本人、現代日本社会嫌い”の根底にあるのは“物事の捉え方、発生事象をどう解釈/理解するか”という根本的思考の相違であり、(私と現代日本人の)何方かが間違っている、という問題ではないということだ。

だが、典型的【ステレオタイプの】日本人は「同一思考、同一意見/見解」ではないことが許容できず、至る処で自身の意見/見解で他者をメジャーすることで「言葉、文字による暴行行為」を為していることは、従前より幾度となく申し上げてきた。

 

さて、本日のメイントピックにフォーカスを移すが、本日掲題の『「富裕思考」と「貧困思考」』は冒頭X( Twitter)の文章が象徴するように現代日本人家庭における埋めることのできない意識の差異だと私は考えている。

私の家庭では常に両親共に「お金がない」が口癖で、「如何に使わないか」が最重要命題で「新たな収入源を創造する」という発想も「歳入を拡大させる」という発想も全くなかった。

その上、亡父は月給を前借りしてまで渋谷に所在していた百貨店で「古美術品」という紛い物を蒐集しており、死亡後に換金できたのは僅か数十万円だけ。

大半は無価値のゴミ同然の品であったにも関わらず、日経アート(旧日経美術)や大手と呼ばれる古美術商企業に内覧、カタログ作成をさせると息巻いていた生前だったが、結果だけ見ればズタズタだというのが現実だ。

早稲田大学文学部美術科課程?履修/卒業の成れの果ては、無様で無知であったことだけが残ったことになる【無教養の慣れの果て】。

 

私は被雇用環境下でも金銭対価を目的として業務に従事した自覚は全くないが、「新たな収入源を創造する」と「歳入を拡大させる」という意識を欠かせたことはない。

母は今でも「転職時に相談がなかった」と苦言を吐露しているが、抑々人の話しを最後まで聞くことができない人にいちいち説明するか?だ。

 

以前の交際相手が母と同じく人の話しを最後まで聞くことができない人がいらっしゃった。

人との出会い、そして別れは起こるべくして出会い、去るべくして離別していくものだと御釈迦様の教えを学ぶことで大変有益に寄与している。

伴侶との出会いもまた流れに身を任せ、強く望むことが求不(ぐふ)得苦(とっく)で苦しむ“四苦八苦”の一つ、煩悩なのだと気が付いた次第だ。

拠って、「諸法無我」 万事実在せず、「諸行無常」何も定まったもの/ことなどこの世には存在しない、在りのまま流れに身を委ね「今」を精いっぱい生きることに専念する、それが最近導き出した結論だ。

 

 

さて、本題に入っていこうと思うが、「有限のものを分け合う」≠「有限だから奪い合っている」のが現代社会の現状ではなかろうか。

ロシア連邦 ウラディミール・プーチン被疑者にしても中華人民共和国 習近平被疑者にしても「限られた土地、資源を占有するために他者を殺害し、己の物にすること血眼になっている」のが実情ではないか。

そこにイズラエル ベンヤミン・ネタニヤフ被疑者が“将来、パレスチナ人の国家にしたい地域 (東エルサレム・ヨルダン川西岸・ガザ地区) ” 現パレスチナ自治区住人をGenocide 集団殺害※1 をしている。

1ジェノサイド 国連サイト参照

 

元々、地中海東岸“将来、パレスチナ人の国家にしたい地域 (東エルサレム・ヨルダン川西岸・ガザ地区) ”は元々パレスチナ人の居住地であり、第二次大戦後そこに欧米強国の一方的強権により第二次大戦下で迫害を受けたユダヤ人の国を勝手に作ってしまったことが抑々の原因で、その後イズラエルが亜美利加の軍事援助を武器に一方的に「パレスチナ人の土地を奪い続け、拡大させてきた」のが現実だ。

ここでも「限られた土地を奪い、第三者に割譲した」ことから事は始まっている。

 

国土を容易く新たに作り出すことは中々難しい課題かもしれないが、実態ある「土地」が本当に国家の必須条件なのか?

私個人の見解として「未だに国、国民、国土に執着する思考を捨て去る時期が来ているのではないか」と思っている。

と言うのも、まず実態として「“国境”は崩壊しているのではないか?」と考えている。

最も近い国、大韓民国まで航空機で1時間しかかからないで何時でも行こうと思えば行けるではないか。

中華民国 現臺灣へは成田空港から3時間だ、沖縄県宮古島市も同時間の距離。

私が初めて訪欧した1989年時点で【西側】欧州各国は陸路移動では国境ゲートもなければパスポートチェックすら不要だった。

現在、欧州は「シェンゲン協定」という条約締結により一時的移動も、移住にもビザは不要で欧州域内であれば好きなところに好きな時に検問なしで移動、居住できる。

欧州では既に「国」は日本における「都道府県」程度の【統治】機能しか有していないわけで、有用な地域運営ができているではないか。

2016年「ブレクジット Britain Exit」を渇望した英国国民は、いま現在「ブレクジット Britain Exit」を後悔している国民のほうが多いそうだ。

 

 

お釈迦様の教え「托鉢」は与えること、布施/喜捨をすることで己の心が清らかになる、執着を捨てる/絶つ修行と教えている。

現代人は布施/喜捨ができず、「くれ、くれ、くれ」という執着に凝り固まりあらゆる面で病んでいっている。

 

“托鉢は、衣食住に対する執着を捨て、生きて行くということを他人に委ねる大切な修行です。2

2大本山永平寺別院 長谷寺 『托鉢(たくはつ)より引用転載 【鎌倉市長谷/坂之下所在 長谷寺とは異なる 鎌倉 長谷寺は浄土宗】

 

 

「新規創造」には大変な労力と忍耐力、そしてGrid力 やり抜く力が求められるが、義務感や執着心で向き合うと「苦行」となるが「今を楽しみながら流れに身を任せ、なるようになる、なるようにしかならない」と気が付けば、もう半分できあがったようなものだ。

 

「四苦」、生老病死に苛まれて生きていくより、いまをそのまま受け入れ「諸法無我」の境地で暮らしていると、世の中のあらゆるもの/ことがバカバカしく映るから不思議だ。

説明責任を果たさない自分のための民主党(・・・・・・・・・)所属国会議員の行為ですら、「八苦」、五蘊(ごうん)盛苦(じょうく)求不(ぐふ)得苦(とっく)を体現しているだけ。

五蘊(ごうん)盛苦(じょうく)】=自分の心や、自分の身体すら思い通りにならない苦しみ

求不(ぐふ)得苦(とっく)】=求めるものごとが手に入らない苦しみ

 

私にとって日本国内での「納税」は最大の恥辱なので、運が良いのか悪いのかは別として過日『教養が欠如した哀れな現代ニッポンジン (2023年11月18日ポスト分)』記事内で触れた教職のポジションとのご縁は結ばれなくなった、通勤交通費申請書をいただいていたが。

また、現居宅も5月半ばまで離れることにもなっている。

 

何事も「諸行無常」で、身に起きるすべてのことに意味があり、意に反するとに抗うことなく流れに身を任せることで執着を手放し、真の自由な生き方を手にする。

「中道/中庸」という生き方、最も平穏な日々を送る最大のコツだと気が付いた。

 

4月か5月より1万円弱でレンタルオフィスを借り、向精神薬被害当事者会創設、輸入ワイン.com/安心食材.comサイト立ち上げ、無農薬栽培/減低農薬栽培 栽培物の栽培家の組織化と疾患罹患者向け「サバイバル・カフェ/バル」の運営に専念することとした。