前回の続き

 

さて、一方で元々の旧 株式会社十合と株式会社そごうおよびそごうグループ地域会社(各地百貨店会社)、旧西武百貨店3社が2000年の株式会社そごうの経営破綻を機に併合されたミレニアムリテイリンググループをどうして株式会社セブン&アイ・ホールディングスが2006年2月に買収したのかが不思議でならない。

 

2006年当時、既に百貨店事業は斜陽産業とされており、抑々本業の一つであるイトーヨーカ堂という大規模小売店事態も業績低迷が続いていた。

当時より株式会社セブン&アイ・ホールディングスの利益の下支えしていたのはコンビニエンス ストア事業のセブンイレブンの売り上げだ。

 

百貨店事業は三越と伊勢丹、エイチ・ツー・オーリテイリング株式会社となった阪急と阪神、J.フロントリテイリング株式会社の大丸と松坂屋と経営難から事業併合せざるを得ない状況が続いてきていた。

単体百貨店は東急、近鉄、高島屋と地方都市の中核都市に所在する小規模百貨店だけであり、その中でも東急のように実質百貨店事業から手を引いた小売企業も出ている。

 

先に述べた通り百貨店事業、正確に記すなら大規模小売事業は最早存在価値はなく、イオンや百貨店事業を手仕舞いした東急、三井不動産【各地ららぽーと運営会社】のようにショッピングセンター化が進み、不動産業化しているのが実情ではないか。

富裕層、超富裕層を除き、百貨店外商部との取引に優越感を覚えられる階層所属顧客も段々と少なくなり、レジャー・ファシリティーの側面を持つショッピングセンターですべての欲求が満たされるという時代の流れを鑑みれば、矢張り株式会社セブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリンググループをどうして買収したのか理解に苦しむ。

 

小売り事業は元々新たな付加価値を付け難い事業である。

ある製品ZがXという小売店だけで販売されることは珍しく、また製品Zと同等の製品が他流通ルートで簡単に流通し始める環境下でどう付加価値を付けることで差別化を図ることができるか?

顧客の囲い込みにしても楽天経済圏を模倣する企業が頻出している以上、高付加価値を生み出すためには流通/小売業態だけでは成り立たないと思っている。

一つ例示をするならば、現在私が手掛けようとしている輸入ワイン.com安心食材.comどちらも販売だけなら他社との差別化を図ることは大変難しいと認識している。

だからこそ、新しい無農薬栽培、低農薬減農薬栽培栽培品/家を新規開拓/確保し、所得保証を担保することで栽培家の生活を保証し、新たな物流頒布手段確立や新規IT技術の開発、その他既存していない画期的な運営運用方法を確立しなければ3か月持たずに市場からの退場を余儀なくされると思っている。

企業の疑似コングロマリット化は必然であり、〇〇業と特定し得ない新たな業態を確立することでしかその存在価値を生かすことはできず、すべてが無に帰すと考えている。

 

論点が逸れ始めたので軌道を修正するが、株式会社セブン&アイ・ホールディングスによる傘下企業 株式会社そごう・西武の米国投資ファンドへの保有全株式売却は明らかな経営判断の誤り、経営層の失敗だ。

スーパーストア経営者が「百貨店経営ができる」と読んだ時点で「詰んでいた」と理解するのが正しい解釈だと思う。

であるならば、株式会社セブン&アイ・ホールディングスの株主は買収から売却までの間経営に従事していた役員へ損害賠償請求をするべきではないか。

 

前述の現役、退役職員/被雇用者/労働者、関係者によるLBОによって放棄を決めた800億円の返済を継続させ、被った損害額の補填終了まで協業の機会を与えるべきではなかったかとも思う。

実際のところ、株式の売却額は2,200億円ではなく8,500万円であったとのことだ。

,500万円であれば一個人でも対応可能な金額であったわけだ。

 

世界中で従来の経営者が老舗百貨店の経営権を手放し始めて既に半世紀近くが経とうとしている。

ロンドンにあるHarrodsは中東出身者が手に収め、米国ニューヨークのBERGDORF GOODMANRowland Hussey Macyにおいても「特別感」が薄れている以上、大規模小売事業は転換点を迎えていると言えよう。

 

そのような中、景気低迷が30年以上近く続くこの日本において消費の傾向は、最早高級志向でもなければ特別感、厚遇顧客を期待しているのではなく100円均一ですべてが揃う()()しか求められていないと考えるべきなのであろう。

 

どうであろうか、なんとも悲しい時代になったものだと感じるし、知性の低下が齎す貧困国への道をどう解釈すべきことなのであろうか。

 

経営判断の誤り、経営層の失敗が職員/被雇用者/労働者を路頭に迷わせるのはいつの時代も同じだが、ここ近年の日本における経営判断の誤り、経営層の失敗は余りにも稚拙な経営層によってもたらせられていると感じるのは私だけであろうか。

東芝、カネボウ、千代田生命保険、北海道拓殖銀行、山一証券、経営層の失敗、経営判断の誤りの犠牲者は職員/被雇用者/労働者だけではないが、職員/被雇用者/労働者自身自分の身分、生殺与奪権を握られているという自覚に欠けるのではなかろうか。

日頃から様々な場面で「甘えている」そのツケではないか?