次回の続き

 

 

実は昨日までご披露してきたメッセージ交換履歴は途中で途切れている【実際はまだこの後の会話が継続していた】。

本心を話せば、まだまだ未練タラタラというのが本当のところだろう、多分今でも。

「済んだことは良き思い出」としてDeleteする、それが正解なのだろうが。

オトコには難しい作業だが・・・。

 

オトコはコレクション欲を有しているから。

 

 

日頃より「人は所属する層の異なる人との交流は難しい」と書いてきた。

これは仏界の四聖・六界に通じる考え方だ。

地獄界、餓鬼界、畜生界、阿修羅界、人間界、天上界の六界、六道/六道輪廻とも呼ぶが、「凡夫の迷いの世界」であり迷いあるものが限りなく生と死を繰り返し、動物なども含めた生類(しょうるい)に生まれ変わる(輪廻(りんね)する)6種類の迷いある世界のことを意味する。

その中でも「くれくれ」の餓鬼界、犬猫家畜同然飼われてしか生きていけない畜生界、いつもいつもトラブルに見舞われ落ち着いた人生を歩めない阿修羅界と多くに日本人に宿る、煩悩に苛まされて生きている姿だ。

 

私自身、まだまだ様々なトラブルに遭遇している現状、人間界、天上界に遠く及ばず、阿修羅界からの脱却に藻掻き苦しんでいると言って間違いなかろう。

だが、仏道に触れ、己の使う言葉を改め、他利の心で仕事に向き合うことで「怒りを覚えること」が大幅に減少し、他者を許すこと、私を粗末に扱うもの、ぞんざいに扱う者々から距離を置き、穏やかに暮らすことで新たな出会いが供され、いずれ伴侶となる人と出会えるだろうと心穏やかに過ごすことができている。

私自身、恐らくだが数年前まで「くれくれ」の意識が強く、伴侶として相応しくない相手に向かって必死になって「結ばれることのない出会い」を求めていたのだと思う。

 

「欲を無くすこと=無欲」、これが私に欠けていたことなのだと気付き、必死に伴侶を求めるのではなく必要な時に目の前に現れるであろう相応しい人を自然と受け入れる準備に集中すること、それが私の大切な仕事の一つだと。

 

理想像は理想であり、必然ではない。

人生で起きること、すべて必然で生じている。

 

『あなた一人ぐらい私が食べさせるから、もっとどんと構えていなさいよ!』と言えるような人が相応しいのかもしれない。

 

おわり