今年に入ってから、自力単独での調理機会がほとんどない状態が続いています。週3回の訪問ヘルパーさんとは調理をメインとするのではなく、「リハビリ」を主眼を置いた買い物同行に費やす時間が多くなっています。

料理自体、体調が元に戻ればすぐに再開できますが、歩行訓練は「安全確保」を最優先とするならばどうしてもヘルパーさんの同行が必須になってしまいます(これ以上の事故遭遇は避けたいですから)。

 

 

さて、ここ1週間の間にどうにも理解不能な「頓珍漢」な人々に貴重な時間を奪われる自体となってしまっている。

元々、「うま・しか は嫌い」と公言している私だが、あまりにも「うま・しか」が多すぎないであろうか。

 

 

まず、3月の交通事故の折衝相手の損害保険会社Tから「(事故受傷にかかる)通院が不要なら、これ以上の(既往症状の通院を含む)通院にかかる移送費支払いはしない」と一方的な通告が始まり。

薬剤が一切使えない以上、通院して何をするのか? リハビリの話しは出ているが、それはあくまで受傷場所の痛みがなくなってからの話し。

この件を弁護士会相談室に相談に行ったら、対応した弁護士は終始「保険会社の立場で考えると・・・」ばかり。私個人が置かれている状況が決して充足されていないことを認識した上で「保険会社の立場で・・・」の繰り返し。この弁護士、何を考えているのか?昨日の頓珍漢第一号!

 

次に、昨晩遅く「スキル販売サイト」上で以下の様な「依頼」が飛んできた。

『私は公務員。兼業が禁止されているので代理で「ネット.バンク」を作ってくれないか。報酬5万円で即決する。応諾の場合、個別メールに返信頂きたし。』

依頼者は(プロフィール上)女性。とんでもない頓珍漢だと感じた。

 

返答は以下の様に返した。

『●● ●● 様

おはようございます

 

お問い合わせの件ですが「ネット.バンクを作成して欲しいのですが可能でしょうか」の意味するところは「ネット銀行」という意味でお間違いないでしょうか。

 

上記前提でのご質問です。

1.      銀行を新規に設立するにあたり何が必要か、どこが管理監督しているかをご理解されていらっしゃいますか

2.      銀行設立に必要な「元手資金」がどれ位の額になるかご存知でしょうか

3.      銀行設立後の運用・管理体制をどう具体的にお考えなのでしょうか

4.      そもそも一個人で設立できるとお考えなのでしょうか

5.      銀行設立に当たりどれだけの関係機関、関係組織が必要かご存知でしょうか

 

最後に

「公務員でして副業が禁止・・・」である状態にも関わらず、ご自身が表に出ないで「コト」が上手く遂行するとお考えなのでしょうか。

銀行という公的性格を有する組織に関与する者が、公然と「違法行為・触法行為」となりそうなことを水面下で行うことが果たして社会的要請に応えることとは思えません。

ましてやここ「◯◯◯◯(プラットフォーム名)」でオファーする様な話しとも思えません。

私が販売しているのは「学習機会の提供」であり、事業設立の販売ではありませんしこのプラットフォーム外での取引を提示してくること自体正当な申し出だとは思えません。

また、本当に「ネット銀行設立」が5万円程度でできるとお考えなのであれば、笑止千万です。

 

ただし、「ネット.バンクを作成して欲しいのですが可能でしょうか」が意味するところが「銀行設立」ではないということであれば、依頼の趣旨を明確に提示して頂き、まずプラットフォーム上で完結する事案とそうではない事案を勘案して頂く必要があると存じます。

 

以上、頂きましたご質問対する当方からの質問と基本的な事業スタンスをお伝えしておきます。』

頓珍漢第二号!

 

 

昨年来の財務省 前理財局長・前国税庁長官 佐川氏、前財務相 事務次官 福田氏、前首相秘書官 柳瀬氏、現 財務大臣 麻生氏、現 狛江市長 高橋氏、日本大学 アメリカンフットボール部監督 内田氏・・・・・・。

 

単に頭が良い(机上の勉強ができる意)だけでは、この世の中生きていけないことを如実に表す自体となっているのではないかと感じます。

 

ほぼ全員、保身に走ることの「潜在的リスク・テイクン」と「リスク・マネジメント」が全くできていないと痛切に感じる。

 

では何故、この様な結果になるのであろうか。

そこには(部外者を含む)第三者に対する「畏敬の念」と「利他の心」が欠落していると痛切に感じるのは私だけでしょうか。

 

弁護士は弁護士会相談室(交通事故)に「企業・組織」側の立場の者が来ると考えて相談に応じるのであろうか。

 

「ネット.バンクを作成して欲しい・・・・・・」

私は常識という言葉は嫌いだが、あまりにも「常識・良識」が欠如する言説だと感じるのは私だけであろうか。

 

 

私は約20年前、銀行の新規立ち上げに設立メンバーとして携わり、その後も流通系銀行設立の一端に関与した経験があります。

あまりにも稚拙な「オファー」に、この国の「未来」を垣間見た様な気がしました。

 

便利、手抜き、自分で汗を流して「手」にしてこなかった「ツケ」が様々な形で、負の面が表面化していると痛切に感じます。

今時、大学へ行っただけで「安泰」など手に入らないし、考える力がないが故の「失態」の曝け出し、無様な姿を晒しているだけではなかろうか。

 

料理にしても学習にしても、そこに「明確なる目的」がない状態で行っても何も意味がないと感じた次第です。

他者に分け与えることの継続が、真の「豊かな生活」を送る源ではありませんか?