Olive Yoga Studio

Olive Yoga Studio

インストラクターにとって、スタジオは人生の舞台。。

その上で繰り広げられることとは?

ナマステ オリーブと申します。

今は、Yogaのインストラクターをやっている私ですが、
このライフワークに出会うまでの軌跡は それはそれは波乱万丈で・・・
なので、このブログを通して、その軌跡を振り返りながら、
私という人間がどんなふうに育って今に至り、そしてまたこれからどんな人生を
歩んでいこうとしているのか、気の向くまま思いつくままに 包み隠さず
ありのままの私を知ってもらいながら、そして私自身も
「本当の自分」と向き合いながら、じっくり書き記していこうと思っています。

もちろん、タイトルが「Yoga Studio」なので、
Yogaについても、沢山たくさ~ん語っていこうと思っています。
一人でも多くの方々に Yogaを通じて 自分の心身のたくさんの「気づき」を
感じてもらい、これからの人生をより健康にイキイキと笑顔でHappyに
過ごしてもらうために・・・そのために私は全身全霊で皆さんのお手伝いを
させて頂こうと思っています!

それこそが!私のやっと巡り合ったライフワークなのですから。。

どうぞ、気長~にお付き合い下さいませ。

(なお、記事につきましては、諸々の事情によりアメンバー限定公開とさせて頂きます。
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あんなに極度の人見知りだったのに~それを克服ししてからというもの、
すっかり人が変わってしまった わたくし。

話好きは、単に おしゃべりというだけにとどまらず、今やイントラという仕事に出会い、
「大勢の人前で話す」という子供の頃の性格からは想像もつかなかった行動をも起こしている。

正直、今でも私は、人前で話せている自分が信じられないし、
人に何かを教えるという立場になってること自体も信じられない。
私なんぞの若輩者が、こんな大それたことやってていいのか?と思ったりすることも しばしば。
でも いったんステージに立つと・・・(それは場所に限らず 人の前ならどこでも)、
ピコッとスイッチが入って、伝道師のように物事を熱く語っている私がいる。
どこから、そんな自信や勇気が湧いて出てくるのか?それは、いまだ不明だ。
私は双子座なので、自分の中には、ふたつの人格があるんじゃないか?と思ったりもする(考え過ぎ?)。


そんな私が今の時点で分かっている自分の性格は というと・・・


・好奇心旺盛   興味が湧いてやってみたくなったら、行動を起こさないと気が済まない。
           自分にやれないことはないんじゃないか?と思って、結果は ともかく まずはやってみ

たくなる。
           
           学生の頃の大きな行動の一つは、言葉の通じない環境の中に自分の身を置いたら、
           私って人間は そこで生活をし生きていけるのか?  
           これは、自分の未熟な英語力を試してみたくなって、実際アメリカに行って生活してた。
           まぁ~身振り手振りで何とかなるもんだよね~そう大してうまく話せなくたって(^▽^;)

           30歳にして何のツテもないのに東京に飛び出したのだって、果たして今の自分に誰に

も依存せず生きていくことができるのか?自分にどれだけ社会に通用する能力がある   

           のか?
           を試してみたくなって、行動を起こしたまでだ。
           これも、いろんな仕事や人間関係に飛び込む勇気さえあれば、なんだって出来るもん       

           さ!
           でも、やっぱり人間は 一人では生きてはいない。 自分を取り囲む あらゆる人達の支

           えあってこそ!ということに気付けたので、これまた貴重な経験だ。

           チャレンジ精神も旺盛だということは、今まで このブログでも「無謀な挑戦シリーズ?」

           で書いてきたことなので、皆も分かってるとは思うケド。思い立ったら即行動!なタイプ

           なので何かやりたいことが出てきたら、即タタタ~ンと計画を立て(一応 無計画ではな               

           いのだよん)すぐ行動に移す。


負けず嫌い    そんなことお前には絶対無理!と、言われれば言われるほど、凹むのではなく、
           逆に なにくそ!と燃え上がるタイプ。
           
           高校生2年の時、あまりに英語の成績が悪かったので、本気で頑張ってみろ!と担任

           に言われ、頑張ったら 面白くなって みるみる英語の成績が上がった。
           調子に乗った私は、大学受験の時 九州の短大の中で一番英語の偏差値の高いとこを
           志望したら、当時の担任やまわりの友達に「オリーブちゃんには絶対無理!受かるわけ

           がない!」と頭ごなしに何度も言われ、「んじゃ~絶対受かって見返してやるぅ!」と強く

           思い、誰にも頼らず 補習にも塾にも通わず 独学で勉強し、見事合格した。
           母校から その短大に受かったのは私が初だったので、担任の私に対する態度がガラッ

           と変わったのを今でも思い出す。 私だって、本気出しゃ~こんなもんさ!ってね。
           結構 私って打たれ強いのかも~?



意外と一途・・・かな   私の数多き?恋愛歴の中で、遠距離恋愛が何度かある。
               この いわゆる遠恋の何が不安かって、会えなくても ちゃんと お互いを想う気持

               ちが揺らぐことなく維持できるか?ってとこなんだろうけど、そこは互いに信じ合う

               しかないんじゃ~ないか?と私は思う。
               だから、私は その時 誰かに好意を抱いていたり 付き合ってたりしてる時に
               他の誰かから好意を持たれたりしても、よっぽどでない限り よそに気が向かな

               い。
               私って話好きで誰ともでもすぐ仲良くなれたりするので、恋愛も軽く思われがちだ

               けど、意外と?一途なのだ・・・よ? これまた信じてもらえないかもしれないケド。

               遠恋って、案外 私のペースにも合っているような気がする。
               しょっちゅう会えない分、その会えない時間に自分のやりたい勉強もできるし、
               会えないからこそ想いも募るし、会える時のその時間は すっごく貴重だから
               ラブラブ気分も他の恋人達より盛り上がるってもんさっ。

               逆に、近くにいるのに しょっちゅう会ったり、メールしたりするのは 正直ウザイ。
               って言ったら、世の恋人達から槍が飛んできそうだけど(^_^;)
               タイミングが合えば、メールもすぐ返信するけど、そうでない時だってあるのだか     

               ら。
               なんですぐ返事くれないの?とか 今度いつ会えるの?とか頻繁に言ってこられ

               ると引き腰になってしまうのは私だけ? 
               束縛されるのは・・・あんまり好きじゃないし、適度に放っておかれるほうが むしろ

               いい。
             

               いや、近くにいて付き合ってても、ある程度の距離を置いてくれれば、
               全然構わないんだけどね~。
               でも、こんな自己チューなこと言ってると、一生独りかもしれないなぁ。。(´_`。)



         



               
              
               





           

           




前回、私の子供の頃の話を少ししたけれど、
私のおぼろげな記憶と、両親から聞いたグチを元に、
もっと さかのぼって・・・今回は 書いてみようと思いまふ。


今の この私=初対面でも すぐ誰とでも打ち解け 親しくなり、
放っておけば いつまででも しゃべり続ける
 話好きな私ヒマワリ

こんな私を知ってる友たちに、今から書く話をしても 「そんなの ぜぇ~ったい ウソだぁ~!」と言って、
誰ひとりとして 信じてはもらえないのだけど・・・(´_`。)


なぁんと 幼い頃の私は、極度の人見知りで、全く口も利かない 笑いもしない 能面で 愛想のない
ホントに手の焼く子供だったのである。( ̄^ ̄)

またまた~そんなぁ~今のオリーブちゃんからは想像もできないよ~と きっとまた思われたかもしれないけど、
ホントにホントの話なのだ。


まず 赤ん坊の頃の私。
両親に抱っこされてる時は、フツーに おとなしくしてるんだけど、
親戚などの集まりで、よ~しよし こっちにおいで~と言って 誰かの手に渡ったとたん、
「んぎゃーーーーーーーーーー!!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 」 と ものすごい大声で泣きわめいて、
そのあまりの ウルサさに抱っこした人は手を焼き、私を両親に放り渡す。
すると、今までの涙は何だったの?って まわりも頭をかしげるくらい ピタッと泣き止む。
叔父叔母どころか、じーちゃんや ばーちゃんにもダメ。両親でないと、絶対泣き止まないのだ。

可愛がろうと抱っこしても、いちいち 私が ギャーギャー泣き叫ぶので、
「全く~なんて愛想のない子なんだー」と 親戚中で 煙たがられ、誰からも相手にされなくなった私。
「ぜぇ~んぜん可愛げがなかったから、誰からも オモチャや洋服とか買ってもらえず、
損な子供だったんだよ~、うちらも片時も あんたから離れられずに 身動きが取れなくて大変だったもんさ~」
と、少し大きくなった頃に両親からグチられたことがある。

私は、生まれは長崎で、3歳の時に今のとこに引越しってきた。
知らない土地での生活もまた 両親を悩ませ、その当時 専業主婦だった母は
(というか、ビンボーだったので本当は働きに行かなければ苦しかったのに、
 私が こんなんだったから、行きたくても行けなかったのだ)
買い物ひとつ行くのにも、大変だったそうで、私が お昼寝してるスキに、隣のアパートの人に
みててもらおうと ドアを開けた途端、パチっと目を覚まし、ンギャー!!と泣き出すわ、
普段でもトイレに行こうと ちょっと私から離れて姿を消そうとするもんなら、またすぐに ギャー!!
そんな私がいたせいで母は、ちっとも自由に動くことができず、ホトホト疲れ切ってたらしい。
なぜに、こんなにも私は 一人にされると泣いていたのか?
もしかしたら それは、当時ほんの一時期、事情があって両親が従妹を預かっていて、
その従妹に両親を取られるんじゃないか?という不安感を私が幼な心に感じていて、
それがずっと従妹がいなくなってからも続いていたからでは? ということぐらいしか思い当たることが
ないのだそう。

しか~し!
片時でも父や母から離れると いちいち泣いていた私も、ついに幼稚園デビューしなければならない年がきた!

とりえあず、ようやく母から離れても泣かなくなった私は、幼稚園に通うことはできた。
でも!教室にいる間、全く誰とも口を利かず、笑いもせず能面で、ただ そこにいるだけ。
当然、友達もできるはずがない。 
無口な私を何とか しゃべらせようと、男の子たちが ちょっかいを出す。

それでも、能面 ( ̄_ ̄ i) で無反応な私の姿に、ますますイジメっ子たちは躍起になる。
そうなると私にも ようやく感情というものが芽生え、そのイジメへに対する我慢の限界がくると、
またも ギャー!!と泣き出すようになった。
感情を剥き出しにし泣き出すようになった私の姿は その男の子たちにとって、一大事だったようで、
「先生!オリーブちゃんが泣きました!」と、いちいち大事件並に報告するようになった。
能面か、泣いてるか、どっちかしかなかった その頃の私の顔。
そんな私の存在は、先生や子供たちだけでなく、父兄の間にも知れ渡っていき、
風変わりな子 として、一目置かれていた。


ここで 両親から何度も聞かされた、とっておきの話がある。
それは、私も多少は記憶にある、卒園式の時の話。
卒業証書を手渡すときに、先生が名前を読みあげて、そしたら園児は返事をして前に出て、証書を受け取る。
どこの親も、この時こそが、わが子の成長を目の当たりにする記念すべき儀式。
さぁて この儀式を、果たして私もできるのか?
これが、うちの両親だけでなく、担任の先生や園長先生も かなり心配していたことだったらしい。
固唾を呑む思いで、見守られていた私の姿。

そして、いざ私の番がきた!
担任の先生が、「オリーブちゃん!(もちろん、そのときはフルネームでね)」と呼んだ時、
どういう雰囲気でだったかは覚えてないけれど、とにかく 元気よく 「ハイ!パー」 と、返事をしたのだそうだ。
そしたら、「うわぁ~あのオリーブちゃんが、言葉を発した!返事をしたぞ!」と、
会場全体が、拍手喝采で包まれたのだそうなクラッカー
そして、両親・担任の先生・園長先生をはじめ他の先生方や父兄の方々まで、みなポロポロと涙を流して、
私の たった一言の「ハイ!」という返事に感動して泣いていたのだそう。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
当の本人は、なんのこっちゃ?といった顔で キョトン!( ̄□ ̄;) としてたらしいケド。

そんなエピソードを持つ私は 「おとなしくて有名なオリーブちゃん」として、
その幼稚園では、
その名を皆の記憶に植え付けてしまった変わり者の子供だったらしい。


ほんっとに、無口なくせに 何気に まわりをソワソワさせ、心配かけていた存在だったんだろうねぇ~私って。


この時を機に すこぉ~しずつ言葉を、発することができるようになっていったオリーブ。
とは言え、小学校にあがって、環境が変わると、またダメダメ~(´_`。)

また無口な子供に戻ってしまい、小学校の低学年までは、それが原因で いっつもイジメられていた。
そんな中、3年生になったときに、初めて「友達」と呼べる子ができて。 嬉しかったなぁ。。
家も近所だったから、いっつも一緒に行動するようになった。

でも、その友達も おとなしい性格だったので、5年生の時の担任が、
(この先生、今だったら絶対 暴力教師として訴えられるくらい 超~おっかなくて怖いオヤジだ!
 往復ビンタとか 当たり前にやってたしね~)

そんな私らを見兼ねて、クラスの中で、明るくて元気のいい どちらかと言うと おてんば娘の集まりの
ようなグループに ポ~ンと私らを放りこんで、一緒に行動させるようにしたのだ。
いっつもクラスのリーダー的存在の彼女らに手を引っ張られ、背中を押され、放課後も
一緒に行動するようになってからというもの、私は何かからの呪縛から解き放れたように別人格なり、
いつの間にか、いっつも笑顔を絶やすことなく、積極的に まわりに話かけたり、
率先的に何かに取り組んだりするような
子供へと変身していったのである。 

今 思えば 人格形成の要になったであろう この大切な時期に、この先生に出会い、
彼女らのグループに放りこんで
もらっていなかったら、今の私という人間は、どうなっていたんだろう?
もしかしたら 今で言う、引きこもり になっていたかもしれない。。
そう思うと、人生 どこで誰と出会い、その後の人生がどう変わっていくか?なんて、分からないもんだなぁ・・・
と つくづく思うし、みんな 何も一人だけで大きくなったわけではなく、その時々で 壁にぶち当たった時も、
いろんな人達の励ましや応援・支えや協力があってこそ、その試練を乗り越えられ、
そして極端に道を踏み外すこともなく、素直に自分らしく生きる道へと導いてくれるようになってるもん
なんじゃ~ないかなぁ・・・なんて。



そんなこんなで小学生の時に、良いほうに?(たぶん(^_^;)人格が変わった私は、
そのまま素直に中学生になり~おしゃべりのほうも ますます拍車がかかり~友達も人並みに増え~
気がつけば、ごくごくフツーの子供に成長していったのである。
両親も安心してたみたいだけどね。

そうそう、小学校3年生の時 最初に私の友達になってくれた彼女とは、
今でも付き合いがあり、私の中でも 1番ふる~い 親友だ。
唯一、私の過去 (口も利かない、おとなしかった頃の私)を知る人物である。
彼女は、会うたびに 「オリーブって、変わったよね~あんな頃があったなんて 想像もつかな~い」と
口癖のように言う。 自分でも いまだに 信じられないんだけど(;^_^A


そう、「子供の頃は こんなんだったのよ~私」 なんて、大人になった今の友たちに言っても、
誰も信じてはくれない。



でも まぁ~それくらい、子供の頃の私と 今の私は 違いすぎる!ってことだよね~(^▽^;)
それは、良いほうにアップ変わったのだ!と・・・思いたい! いや 思う!



でなきゃ~この天職には、出会わなかったかもしれないのだから。。プププッ


以上、わたくしの知られざる過去=信じてもらえない話でしたっあせる


お~しまい
ヒマワリ
























そう言えば、私って 先月 誕生日で なぁんと ついに大台に乗っちゃったのよ~ケーキ


試験前で それどころじゃなかったけど、いつの間にか 「40歳」 になってましたぁ (*⌒∇⌒*)
みんな~BDメールやプレゼントプレゼント ありがとうね!ラブラブ

でも、まさかねぇ~ 自分が 40歳にして、こういう人生を歩いてるなんて思ってもみなかったなぁ。。しみじみ

この10年は、「濃かった!」の一言に尽きるビックリマーク


20代の終わりぐらいに、急に独立心に目覚め、まわりに依存せず、
自分だけの力で生きていけるのか試してみたくて、水面下で計画を立て、
まわりの呆れ顔をよそに、なぁんと 30歳にして それを決行!
東京へ飛び出し (もうちょっと貯金があったら、海外に行きたかったんだけど)
運よく 外資系銀行で働きながら、好きな ライターの仕事も経験もできたし、
(その東京での暮らしぶりは、書き出すとキリがないので、別の機会に書くとして~(^▽^;)
35歳にして家業の事情で、実家に戻されたと思ったら、
「このままじゃ~もとさやだ~私は、私の人生を歩きたい!」と思い、
そしたら 突然 「インストラクター」という天職に出会い、いろんなことに挑戦し、
今も その道を 究めるべく 突き進んでいるアップ

10年前の私が、今の私の仕事を想像してただろうか?
ううん、全然! 人生、どこでどう転機がくるか分からないね!
だから、人生 おもしろい! 今でも私、自分が イントラをしてること自体、信じられないときあるし(^^ゞ

「人生 山あり 谷あり」って言葉は、私 高校生の時に よく口にしていたけれど、
(こんな社会にも出てない子供の頃に いったい何があったんだい!って感じだけどf^_^; )
20代も、波乱万丈だったし、ものすご~く濃かったから、
美人薄命じゃ~ないけど(自分で言うなって?)、わたしゃ~自分が40歳まで生きてるとは、
思ってなかっただよ。 もっと、オバサンだと思ってたしぃσ(^_^;)

でも、今の私を マジマジと?見てみたら・・・う~ん、少なくとも 同級生よりは若くみえるんじゃない?チョキ
まぁ~こういう人前に出る仕事してるから、一応 身ぎれいにはしてるし、
イントラだから、体型維持には、心がけてるけどね。
あとは やっぱ、バツイチだけど、独身で子供がいないからだろ~ね。
そのぶん 身軽に動けるのは いいんだけど、いったい いつになったら落ち着くんだい?って 
まわりの目が突き刺さるぅ~(ノ◇≦。)

けど、いいんだも~ん! 私は私さっ!(って 開き直るしかない (^▽^;)
いつかは、こんな風来坊な私でも 良かよ~って言って、つかまえてくれる人がいるかもしれないしぃ星


そうそう、この記事のタイトル=「時の記念日」っていうのは、6月10日のことあじさい
この日が、私の誕生日なのだ ケーキ

(気のせいか、歴代の彼氏からのプレゼントは、時計が多かったような。。 (-^□^-)

この日に生まれたからかどうか分からないけど、私の父は、やたら時間に うるさかった。

「時は、金なり」
と、私は 子供の頃から 時間にルーズになるな!と よく父に言われていた。

だから私は、大人になった今も 時間は 大事に使うようにしてるし、無駄にダラダラして過ごすのは、
もったいない!と思って、常に動いてないと 落ち着かない性分。
見方によっては、ウザイかもしれないけど。


こで、ちょっと 私の子供の頃の話。

私には、3つ下の弟がいるけれど、両親にとって私は、 初めての子供だったためか、
めちゃくちゃ 厳しく育てられた。 まさに、スパルタ式だ・°・(ノД`)・°・

小学生の頃は、毎朝6時に たたき起こされ、まず 30分のマラソン。帰ってきたら、腹筋100回。 
あの頃は、それがイヤでイヤで 毎日雨乞いをしていたくらいだ。
でも、そのおかげで、駆けっこでは いつも 1番、運動会でも 必ず リレーのアンカーに選ばれてた。
中学校では、陸上部にスカウトされ、短距離走選手として大会に出たりしてた。

あと、勉強のほうも 毎日 1学年上のドリルを全科目やらされ、 それをやらないと絶対遊びに行かせて
もらえなかったし、逃げたら ビンタされて連れ戻されてた。Y(>_<、)Y
怖くてイヤイヤやってたけれど、おかげで、その頃の成績は良かった。

それに、我が家は本屋さんか?ってくらい父が本好きだったので (それは 今でも変わらない)
私にも たくさんの本を与え、読書感想文を書かせたり。
おかげで 私も本好きになり、学校にも文庫本を持って行って ひとり昼休みに読んだりしていた。
朝日新聞の「天声人語」も、意味も分からないのに、毎朝全文ノートに書かないと、学校に行けなかったけど、
今思えば こういうことが ライターの仕事に役立っていたのかもしれない。

うちの父は、クラシック音楽も大好きで、レコードやCDが山のようにあって、いっつも家の中では、
クラシック音楽が流れていたので、いやでも耳に記憶され、おかげで音楽の授業は楽しかった音譜
毎年12月には、「第九」 のコンサートに家族で行くのが恒例だったねぇ。

まぁ~ここまでは、なんだかんだ言って、おかげで~ってことが多かったけど、
一番イヤだったのは、テレビを見させてくれなかったことだ。
唯一 、父の許可の降りた番組は、日曜日の夜7時半の枠にあってた、世界名画劇場だっけ?
小公女セーラとか、フランダースの犬とか、あらいぐまラスカルとか、そういうのだけ。
間違っても 8時だよ全員集合!なんて 見せてはもらえなかったので、
全然みんなの話題についていけなかったのが、さみしかった。

漫画も、一切ダメ。 でも、ダメと言われれば言われるほど、読みたくなるのが子供だ。
だから、友達の家に遊びに行ったときに、こそっと読んで、買っても家の本棚に並べるとバレるので、
友達の部屋に置かせてもらっったりしていた。


なのにぃ~!こんなに私のことは、厳しく育てたくせにぃ~ !(って言い方も 変だけど)
一人目の私で疲れたのか、弟は、まったく 私のように、厳しくされなかった。
マラソンも腹筋もしなくてよかったし、勉強も強制されないし、本も漫画本ばかりで、
堂々と部屋の本棚に並べていても、
全然怒られないし、テレビも どんな番組も見放題! 
父も、ドリフターズ見て、ガハハ!と笑ってた ( ̄□ ̄;)

なんで、姉弟で、こんなに違うの?なんで、私の時は、ダメだったの?と 当時は、子供心に腑に落ちなくて、
弟が羨ましかったものだ。 よく グレなかったなぁ~。


そんなふうに甘やかされて育った弟は、体力がないから 今や、中年のオッサンのような三段腹のメタボ一直線!
文章も全く書けないし、成績も最下位で、高校もギリギリで どこかに滑りこめた。
でも、弟は学校の勉強はできなかったけど、得意分野の専門学校に行って、自動車整備士になったし、
しばらく県外で仕事して 今は我が広告代理店の営業をやっていて、パソコンをいじるのが得意だ。
機械いじりが、どうやら得意らしい。
車も部品そろえて自分で修理するし。だから我が家にあるすべての車のメンテナンスは、弟に お任せ。
パソコンでやる仕事も、お手のモン。 操作してて エラーが出たり かたまったりしたら、すぐに解決してくれる。

逆に、そういうことは、私は全くの苦手だ。
でも、広告の記事を書いたりするのは私のほうが得意だし、少なくとも弟よりは何に関してもセンスはあるつもり。
これは、本人も姉のほうが優れていると認めているので、出掛ける前のネクタイの色から私服、
広告のデザインをいくつかの候補から選ぶ時も、必ず私に伺いをたてにく来る。


こう振り返ってみると、なんだかんだ言って、育ち方は違えど、
姉弟のカンケイって うまくバランスが取れているものだ。
片方が不得意とするものを、得意な片方が補って、うまくまわっていければ、それでいいんじゃない?


今となっては、子供の頃、テレビや漫画が堂々と見れなかったことくらいなんてことはない (え?そこかい!)
父は父なりに、 一生懸命 私という人間を育ててくれたのだ。

スラリとした私の長身は 180cm ある父親ゆずりだろうし、さらさらの髪の毛と色白の肌は、母親ゆずり。
こんなイイトコもらいの私のカラダ。 両親には、感謝だね!ラブラブ


厳格に育てられた私も、その反動で?(^▽^;) 破天荒な人生 歩いてるけど、
なんだかんだ心配や迷惑をかけてはいますが、今年で 40歳になりました~ビックリマーク
いまだ、落ち着いてなくて ごめんなさーい m(_ _ )m

これからは、世の中のために、役立つ人間になっていくつもりなので、
呆れずに 長~い目で見て 温かく 見守っててください。

よろしくお願いしまーす☆-( ^-゚)v

・・・

あれ? 今回の記事は、両親に向けての内容になっちゃった・・・みたい (^▽^;)
だって、誕生日って、みんなから 「おめでとう!」って言われるけど、
本当は、本人が 母親に対して 「生んでくれて、ありがとう!ラブラブ」っていう日でも あるんだよね?

最後に、母親のことも立てて?締めくくりたいと思いまっす (;´▽`A``



父・母へ
本当に、今まで 育ててくれて ありがとう ビックリマーク
なかなかテレくさくて、面と向かっては言えないけれど、いつも感謝してます!ラブラブ