母の入院は1ヶ月を過ぎた。病室の窓から赤や茶、オレンジに色づいた山が見える。外はひんやりと肌寒い。今年は紅葉狩りどころじゃないな。

母の容態は一時期危ぶまれたが、少しずつ快方に向かっていると主治医が言うのでホッとする。

 

私の下歯槽神経損傷は痺れというより感覚鈍磨と違和感。損傷してから半年過ぎた。ネットで調べた専門家たちの見解によると、ちょっと神経に触っただけだと3ヶ月で完治するが、半年経っても症状がある場合、後遺症として残るケースが大半なよう。そのことを受け入れられずにいる。

虚ろな顔で母の病室を訪れ、「何かしてほしいこととかものとかないか?」と尋ねると、「何もいらん。何もいらんから、早く元のハツラツとしたアンタに戻って!」と険しい顔をする。母のイライラは続き、家族に対する暴言が止まらない。

入院中することがないので、小型ラジオを買ってきて欲しいと父に頼み、聞きたい番組に合わせようとするが上手くいかず、夫に助けてもらったことがあった。

「お父さんは頼りなくて。こんなん私が元気やったら自分でするのに」とぼやく母。

退屈なので面白い小説を持ってきてというから、明るく元気になれる小説を持って行ったら、「この小説、全然面白くないから返す!」と突き返してきたり。もう少しマシな言い方があると思うんですけど、、、。そんな風に当たられたり、ののしられても、言い返さず我慢する。

大手電機メーカーで派遣社員として働いていたときに、仙人部長Mさんが私に我慢強いな~と言ってくれたことがあった。我慢は美徳、我慢したものの勝ちみたいな価値観を持っているのかな。自分では自覚してないけど。

 

「私はなぁ、色んな事が怖いんや」

あるときポツリと母は言った。朗らかで気丈で気が強い母が弱気になっている。

「私もや。神経損傷のリスクについて一切説明なくこんな目に遭って、二次的被害も受けて、外歩くのも怖いし、歯科治療も採血も予防接種も怖い」

こんなこと言ったら心配かけるってわかっていたけど、「大丈夫やで」って言えなかった。私自身、追い詰められていたから。

相手が大変なときに「大丈夫」って軽々しく言って良いの? これには随分迷う。大丈夫だけで終えてしまうと言葉足らずなので、「大丈夫、私もいるし、他の家族もいて、支えるからね」とか「心配したって何らかの形で決着がつくから大丈夫」と何か他の言葉も付け加える。

私は結婚前の口癖は「どうしよう、どうしよう」だった。それが結婚してしばらくしてから「どうしよう」の代わりに「大丈夫」という言葉が出てくるようになった。夫はひょうひょうとしているように見えて、実は脆い面がある。それは自分でも認めていた。何かあったときに、不安そうにさっと顔色が青くなることがあったので、そんなときに私まで「どうしよう、どうしよう」と言っていたら不安が倍増する。だから努めて明るく、大丈夫じゃなくても「大丈夫、大丈夫」と大げさに笑って言っているのがいつの間にか癖になったのだ。

 

関東にいる兄が出張がてらちょくちょく様子を見に病室にきた。言ったら悪いけど、見舞い客みたい。親が倒れたとき、兄弟姉妹が遠方にいると心細いな。

随分前に叔母が大変な病気(ここでは病名を伏せます)で長期間入院していたとき、従姉妹は月~金朝9時から夕方5時まで叔母につきっきりだった。遠方に住む兄弟はあまり顔を見せず、望みもしないことをして返って足を引っ張り、イライラしたと彼女は言っていた。

 

子どもに負担かけたくないから、「何もせんでもええで」と遠慮する親が多いのかな、わからないけど、ウチの親はそう。その言葉通り甘えてもいいのかなと思ってしまう。相手が何を一番望んでいるか推し量らずに自分の気持ちを一方的に押し付けるのは、うーん、ちょっとなぁって感じ。意地悪な言い方かもしれないが、相手が「いいわ」と断るのを期待して、相手の望まないことを提案し、『自分も力になっているよ』とポーズしているだけのように見える。

みんなそれぞれ家庭があって事情があるのはわかるけど、できないことへの言い訳するんじゃなくて、少しでも相手の望む、自分にできることを探して実践する方がお互いイライラせずにすむような気がする。

「言い訳するなら汗流せ!」だ。