YOUTUBEの「Lion of Judah」より。

このチャンネルは、クリスチャンが主に従っていくための励ましや戒めのメッセージを

毎日UPして下さっています。

今回、「あなたのハッピーエンド」~神の平和~毎日聴いて下さい―というタイトルの

力強いビデオをアップして下さっているので、簡単に和訳をしてご紹介致します。

クリスチャンではない方にも、おすすめ致します。

 

今、揺り動かされている中で、

状況にフォーカスしてしまうと平安を失ってしまいそうな世の中で、

主の御名のうちにとどまる確かさについて、私は大変励まされました。感謝イエローハーツ

 

だいたい合っていると思いますが・・・うまくない訳なので、英語がお出来になる方は、ぜひ本コンテンツをご覧ください・・・

 

 

 

【以下は訳したものです。】

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イエスが「平和の君」とはどういう意味だろうか?

 

イザヤ書9章6節、

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」

(イザヤ9章6節)

 

イエス・キリストだけが「平和の君」と呼ばれうる。

 

アダムとエバの堕罪から、私たち人類は罪ある状態となり、私たちは神と敵対する存在となった。

しかし、神に感謝すべきことに―

神は、私たちがまだ罪人であった時に、キリストが私たちのために死なれたことによって、私たちへの愛を示された。

 

 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

 

ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらです。

 

もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。 」

(ローマ人への手紙 5:8-10)

 

キリストが私たちのために成してくださったことによらなければ、

私たち人間は神との和解(peace)をもつことはありえないのだ。

 

言いかえれば、イエス・キリストは神との仲保者、仲介者であられるゆえに、

すべて彼を信じる者は、主の平和のうちに生き続けることができる。

 

キリストの平和は、私たちに何をもたらすのか?

まず第一に、完全なる平安をもたらすことができる。

 

イザヤ26章3節

志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。(イザヤ26:3)

 

「堅固(steadfast)」は(英語の)辞書によると、「堅く立つ、揺れ動かない、忠節である」

ここで重要な言葉は、「忠節である」(※別訳、王の保護にある・気高い)

 

忠節であるということは、まさにここで聖書が語る「信頼」に不可欠な要素だ。

神に信頼する者は、堅固であり、忠節であり、彼らは神のあらゆる御言葉に従う。

聖書によると、志が堅固であることによって得られるものは、平安(peace)である。

 

もし、私たちが何か一つだけを願い求めるとしたら、それは平安であるべきだ―

私たちの人生は、平安を必要とする。

この世界には、私たちに影響を与える嵐が猛威をふるっている。

日々耳にするニュースで、時に私たちはがっくりと落ち込んでしまう―。

 

もし私たちが神のうちにしっかりと立っているならば、一つ確かなことは、

それが神の平和であるということ。

 

イザヤ書26章4節

いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。

 

心配ごとによって、私たちの心には恐怖がもたらされる。

これが、自分で自命を絶ってしまう人々の割合が全世界で増えている理由だ。

クリスチャンであっても、人生の嵐や危機から免れるわけではない。

クリスチャンとして、あなたはトラブルや人生の嵐に向き合うことになる。

あなたの家族、仕事、キャリアやミニストリーなどにおいて。

 

どうすべきか?

どうすれば、私たちを打ちのめそうと待ち構えるこれらのトラブルから

逃れることができるのか?

人はずっと、この事に対する正しい答えを求めて続けてきた。

 

これらから逃れるシンプルな方法は、「堅固であること(堅く立つこと)」。

神の子どもとして、真理に立つことだ。

 

あなたは、平安がどこから来るのかを知らなくてはならない。

あなたに妻や夫がいれば、平安なのではない。

だからあなたの信頼と信仰を、人に置くべきじゃない。

あなたの妻にはどうにもできない問題があるし、夫にもどうにもできない問題がある。

あなたの父にとってもどうしようもない問題はあるが、

神にとって大きすぎる問題は何もない。

これこそ、本当の平安をもたらす。

 

完全な平安を持っている人とは、心を主にしっかりと置いている人、

彼に信頼している人のことだ。

今日、あなたに質問しよう。

「何があなたの心の平和を奪っていますか?」

幾晩もあなたを寝付けなくさせているようなあれこれは何か? 考えてみてほしい。

 

さあ、質問しよう―それは神よりも大きなことなのか?

なぜ、あなたは怖がっているのか?

神はすべての病よりも大きい御方。

神はすべての経済的困難よりも大きい御方。

神はどのような心の傷よりも大きな方で、彼はあなたの壊れた心をいやすことができる。

クリスチャンの人生には、常に常にハッピーエンドがあるだけだ。

なぜなら人生の物語の終わりには、あなたの物語の終わりには、主とともにいられるようになるから。

家への帰り道にいるのに、くよくよ心配しながら旅する人がいるだろうか?

 

神を信頼することで平安がもたらされる。

あなたが問題や困難な状況に直面した時に、神を信頼することで、あなたの信仰が強められる。

そして神が助けてくれることへの信仰によって、神はあなたを助け、神の平安をあなたに与えるだろう。

 

第二に、

キリストから来る平和は、いろいろなことをなすための力を与えてくれる。

イエスの御名は平和の名だ。

その名は私たちに平安を与える―なぜならイエスが平和の君だから。

私たちに平安を与えるために、彼の御名が可能にしてくれることが、沢山ある。

 

イエスの御名には救う力がある。

主の御名は力強い砦であり、安全な場所。

彼の御名は来たる破壊から私たちを守るために与えられた―

最初に人が罪に陥った時、罪によって死がもたらされた。

この死は単に肉体的な事柄だけではなく、永遠の破滅でもある。

全ては一人の人の失敗から生じたのだ。

 

ローマ人への手紙5章12節

「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、—それというのも全人類が罪を犯したからです。」

 

破滅から救われるただ一つの道は、イエスの御名による。

ローマ人への手紙10章9節。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」

 

聖書の出エジプト記14章14節の御言葉、

「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」(出エジプト14:14)

※英語King James Version では「The Lord shall fight for you, and ye shall hold your peace.」(あなたの平安を保て。)

 

主があなたのために戦われるから、あなたは神から平安を得るだろう。

 

イエスの御名には勝利をもたらす力がある。

実のところ、私たち人間には戦うべき戦いがある―

チャレンジという形でやってきたり、問題が明らかになったりする。

しかし、イエスの御名はそれらを消しさることができる。

 

詩篇34篇19節には、

「正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」(詩篇34:19)

 

イエスは、私が平和の君だから、あなた方は世にあって困難がないだろう・・・とは言われなかった。

私たちがトラブルを逃れるすべはない。それは人生の一部であるから。

ひとつ、私たちにとって良いことは、イエスが私たちに勝利を約束してくださったこと。

そして、私たちに平和を約束してくださったこと―

 

彼が、私たちが直面するあらゆるトラブルに勝利されたと教えて下さったことによって。

ヨハネの福音書16章33節

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

 

イエスの御名には、涙をぬぐい、喜びを与える力がある。

主のご臨在には、常に喜びがある。

イエスの御名のうちに喜びを見出そうとする時、何が起きるかというと、

周囲の状況が変わり始め、私たちに喜びをもたらすようになる。

 

私たちを悲しませるような出来事があり、泣かせるようなこともある。

でもあなたは、イエスがあなたに何ができるかを知っているだろう。

彼はあなたに平安を与え、笑顔にすることができる。

あなたがどのようなところを通って来たか、または通っているかは問題ではない。

大切なことは、あなたが知っているべきこと―それも真剣に―

イエスの御名には、あなたに平安を与える力があるということだ。

あなたを笑顔にすることができる方―それが彼だ、

平和が彼の御名だから、彼はあなたに平安を与えるだろう。

 

彼の御名は私たちを神と繋げる。

 

ヨハネの福音書14章6節

「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

 

神の恵みの御座へのショートカットはないのだ。

イエスが、神が認識してくださる唯一の道で、彼を通してのみ神と繋がれる。

 

私たちが地上でどんな戦いをするにしても、武器を用意することだろう。

イエスの御名は、武器だ。

あなたは、イエスの御名を持たないならば、勝利を宣言することはできない。

彼の名はただの名前ではなく、その御名を冠した方こそ平和と呼ばれているのだ。

その御名とともにあれば、あなたはどのような戦いに突入しても、平安を見出すことができる。

 

まさに始めから、主の御名は常に力の源であった。

常に避けどころであった。

 

箴言18章10節。

「主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。」(箴言18:10)

 

人生に平安を得たい人は、だれでもイエスの御名を手に入れることができる。

もしも、私たちのうちでこの御名を働かせていないなら、この御名は働かない。

私たちは、私たちのうちでこの御名をアクティブ(ON)にしないといけない。

そうすることで、この御名がもつ力にアクセスすることができるのだ。

 

どのようにしたら、私たちのうちで御名を働かせることができるのか?

どうやったら、御名が平安をもたらすようになってくれるのか?

答えはシンプルだ。

それは、平和を持つ方を受け入れること―平和の名を冠する方を。

イエスこそが平和の君であり、あなたが永遠の平和を持つために、人生において受け入れなくてはならない方だ。

 

クリスチャンの人生は、常に、常にハッピーエンドだ。

なぜなら物語の終わりには、あなたの物語の終わりには、主と一緒になれるからだ。

家への帰り路にいるというのに、くよくよ心配しながら旅する人がいるだろうか?

 

黙示録21章3節の御言葉は言う、

 

そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。

「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。

また、神ご自身が彼らとともにおられて、」・・・

 

ついにあなたは神を見るであろう。

あなたが地上で臨在を感じた神を、あなたを守ってきた神を。

私は信じている。

私たちが天の御国にいて人生を振り返った時に、すべてが明らかになるだろうと。

 

その時、

神が私たちを悪しき状況から救いだしてくれたことを見ることができるだろう。

また神が、私たちの悪しき選択をブロックしてくれたことも見ることができるだろう。

神が、私たちの人生を通して与えて下さった、素晴らしい贈り物も知ることができるだろう―

―それは現在、自分の手柄にしてしまっているが―

 

私たちは神の御顔を仰ぎ見て、気が付くのだ。

本当に、神だったということを。

常にともにいてくださった御方。

あなたの力が絶えた時に、拾い上げてくださった方。

あなたに仕事をする能力を与えた方。

そしてあなたの愛する人を与えた方。

あなたに全ての良い贈り物を与えられた方。

 

ついさっき言ったことを、もう一度繰り返さなければならない。

私たちを泣かせるようなものはない。

しかし、彼の御顔を仰ぐ時には、感じたことがなかったような感情を抱くだろう。

 

神、あなたの創造主、あなたの真実の父。

なんと栄光に満ちた日々になることか。