トラウマ解消セラピーOliveの✾なぉ✾です
【女性専門】
前回の『不安障害だった私がトラウマ解消セラピストになりました!㉒』はコチラ
病気と後遺症をなかなか受け入れられない母は、一度だけ父にストレスが爆発してしまい大騒ぎになった時もありました。私たち家族はみんな疲れていました…。
そんな生活もだんだん慣れ、母が倒れてから、ちょうど一年が経った12月の寒い冬のことでした。
ある夜に珍しく兄から電話がかかってきました。
「お母さんが倒れて救急車で病院に運ばれた。」
心が粉々に崩れそうでした、赤ちゃんがいるので必死で平常心を保とうとしました。
お母さん、お願い!死なないで!
心の中で、そう叫んでいました。
病院に着くと、広い待合室に父と兄の奥さんが座っていました。
私達が駆け寄ると、
「また脳出血を起こして、今度は反対側に麻痺が残るかもしれないって…。」
え・・・?反対側も!?
頭の中が整理できず困惑していると、隣に立っていた兄が膝からガクンと落ちました。
それは、まるでドラマのワンシーンを見ているようで、でもこれは現実なんだと自分に言い聞かせても、頭が追いつきませんでした
病室に入ると、母はまた意識がない様子でベッドに横たわっています。
兄は少し心臓が悪いのか、ストレスがかかり少し辛そうに立っていました。奥さんは、「大丈夫?」と声をかけていました。
私は兄に歩み寄り、背中をさすりながら
「大丈夫だよ!お母さんは強いから大丈夫!」
そう声をかけていました。
その病室にいた家族みんなが、驚いた様子で振り向きました。
無理もありません、不安障害になってからの私は弱々しく、いつも怯えて、誰かに守ってもらえなければ生きていけない、そんな状態だったからです。
誰もが、私のことを一番心配したのではないでしょうか?
お母さんが倒れてしまって、私がまた不安定になってしまうのでは…と。
そんな私が、反対に兄を励ましていたのですから、正直、自分自身でも驚きました
私も必死に感情をコントロールして立っていました。絶対にダメになってはいけない、私には赤ちゃんがいるのだから!
そう、私を変えてくれたのは「赤ちゃん」でした。新しい家族でした。
兄は、私の言葉を聞き、ふと我に返ったように背筋を伸ばしました。
その後、母は無事に意識を取り戻しました。
入院中に、母は再びリハビリを頑張りました。
母は、とても強い人です。でも、2回目の後遺症も加わり、とても辛い思いをしていたと思います。
退院の日が近づき、病院側から退院後の話があったようです。
その話を、父が私と兄の前で話し始めました。
すると、父は私達の前で信じられない言葉を口にしたのです!!
「お母さんは施設に入れようと思う。」
え?何て言った?施設?
私は、そんなことが許されるわけがないと猛反対しました。
兄も、それはダメだと、私と同じ気持ちだったようで安心しました。
「もう、お父さん無理なんだ。1回目は頑張れたけど、2回目はもう…無理なんだ。」
私も兄も、通えないような距離ではありません。
「ちゃんと手伝うから!」
そう言っても、父は首を横に振るばかり。
兄は、「同居できないか奥さんに聞いてみる。」と言って、解散になりました。
まさか、こんな問題が出てくるなんて思いもしませんでした
退院したら、当たり前に実家に帰ってくると思っていました・・・。
数日後、兄から連絡があり、同居は無理だったという話でした。
兄のところにも子供が2人います。今後の子供達の将来を考えると、奥さんは不安だったのでしょう。
母は、まだ62才だったので、長い介護生活も予想されます。
もう頼れる場所がありません。
「じゃあ、私の家で同居できるか相談してみる!」
そう言って、その日の夜に夫に話をしました。
すると、
「なおがそうしたいなら良いよ、でも俺はあまり手伝えない、それでも良いなら。」
「お母さんがいつか亡くなってしまった時に、なおが後悔して辛い思いをするのが分かるから。」
そう言ってくれました🌱
もちろん、私も赤ちゃんを抱えながら介護生活ができるのかとても不安でした。でも、母を施設に入れるなんて考えられなかったのです。
母は、とてもとても愛情深い人で、私達のことを大切に育ててくれました。いつも元気でたくましく、いつも励ましてくれました。
周りの人にも、とても明るく親切で、いつも高い声で元気に笑っていました。
私の反抗期には苦労をかけ、大人になり不安障害になってからも、感情のコントロールができない私を、いつも守ってくれました。泣き叫んで怒鳴る日も山ほどあったし、ストレスで酷い言葉を投げかけたこともたくさんありました。
それでも、母は逃げることなく、いつも支えてくれました。
そして、「もう辛い、家族にも迷惑をかけているのが辛くて消えたい。」
そう泣いている私に、母はこう言ってくれました。
「大丈夫、家族が倒れたら家族が支える、それは当たり前のことなんだよ?」
この言葉に、当時の私は本当に救われたのです。
父は、仕事は真面目で体調を崩しても、最後まで頑張ってくれましたが、家のことは全て母に任せていました。母はいつも大変そうでしたが、いつも笑って家の中を明るくしてくれました
こんなに家族のことを守ってくれた母を、病気になったからと施設に入れる?
そんなこと許せない!!
次の日、私は父に電話で同居の話をしました。
これで問題解決だ、そう思っていた私に父は・・・
「お母さんが、なおの家に住んでも、お父さんは住まないよ。」
はい?何言ってるの?もう怒りが爆発しそうでした。
「お父さんが居なかったら無理だよ!赤ちゃんもいるのに!」
私は、泣き叫んで言いました。
「だから無理なんだよ、介護は甘くない、大変なんだぞ?」
そんなの分かってる!分かってるけど…
「お願いだから、私に恩返しさせてよ!あんなに支えてもらったのに!あんなに…。」
「お母さんは、家族が倒れたら家族が支える、それは当たり前の事なんだよって言ってた!!」
「どうして、お母さんだけ支えてもらえないの!そんなのおかしいよ!!」
「もう、お願いだからお父さんのこと責めないで…。」
私の思いを全部叫んだけれど、
最後まで私の言葉は父には届きませんでした。
次回、『不安障害だった私がトラウマ解消セラピストになりました!㉔』に続きます🌱
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