先日行ってきた「ヴィパッサナー瞑想合宿」の体験記です。
10日間の合宿中一番楽しかったのは、寝ることでした。
講和が終わって宿舎に帰って布団に入ってからの「これから寝れる」というワクワク感は、まるで竜宮城で人魚に耳を掘ってもらっているような恍惚感でした。
それから休み時間に足を伸ばせること。
とてもおいしいご飯。
瞑想終了の鐘。
以上です。
いくら考えてもこれ以上は思いつきません。
辛かった事はその他全部。
特に夜の講和ではインドの昔話しを嫌というほど聞かされました。
いくら昔話し好きの僕でも、一日中「まんが日本昔話し」を見ていることは出来ません。
たまには「女だらけの水泳大会」も見たくなるのです。
どちらかと言えば、そちらを見てた方が楽しい場合もあるのです。多々あるのです!!
なのに昔話しや例え話しばっかり。。。
半分寝ながら聞いていたので、殆ど忘れてしまいましたが、印象に残った昔話しを一つ。。。
昔インドに物凄く徳のあるお坊さんがいて、この人、徳があるくせに4日連続で同じ場所、同じ時間に道で寝ていたホームレスの人につまづいたそうです。
そしてそのホームレスの人に4日連続で同じセリフ、同じトーンで「どこ見て歩いてるんだ!バカヤロー!!」と怒鳴られるのですが、ただこの時のシチュエーションが毎日少しずつ違うのです。
一日目 何人かの弟子を連れて歩いている。
二日目 自分一人で歩いている。
三日目 自分一人で歩いてるが、つまづいた人が自分の息子であることを知る。
四日目 弟子を連れて歩いていて、自分の息子につまづく。
でこの時のお坊さんの心の反応はというと。。。
一日目は大勢の弟子の前で徳のある自分がむやみに人を怒鳴る訳にもいかず、また「自分みたいな徳のある人間がこんな奴に怒鳴られるはずはない。」という自尊心から、怒鳴られたのは弟子の誰かだと思い心は平静なままでいる。
二日目は自分一人で歩いていたため、怒鳴られたのは自分に間違いないと思い少しムカつく。
三日目は怒鳴ったのが自分の息子である事を知り、なぜこんな徳のある自分の息子が、ホームレスなんかに。。。自分の息子は自分の言う事を何でも聞くはずなのに、よりによって親に対して怒鳴りつけるとは。。。という思いからだいぶムカつく。
四日目は三日目の思いプラス、それを周りの弟子達に知られてしまった、徳のあるはずの自分が辱めを受けているという自尊心の崩壊から怒りはMaxへ。
でも怒鳴ったホームレスは4日目ともまったく同じセリフを同じトーンで言っただけなのです。
「だから、原因は外にあるのではなく自分の心にあるのですよ!心を鍛えなさい!」というお話しでした。
僕の非常に極端な超個人的な解釈によると、ここでの修行はこの事を身をもって知るためにあったのではないかと思っています。
もっと修行をして体の感覚を細部まで詳細に感じ取れるようになると、「体を作る細胞よりももっと細かい単位の何か(何て言ってたか忘れました)が、一瞬にして生まれては消え、消えては生まれる」のを感じ取れるようになり、そうすると無常(すべての物は生まれ、やがて消えていく。この世に永遠に続く物なんて一つもない。なのに人は、人や物に渇望や欲望を抱き、それを失った時に勝手に苦しみ始める。すべてのものはやがて消えていくのに。。。)という事がわかるようになるそうです。
僕はとてもとてもそんな事はわかりませんでしがた、この例え話しに集約されたこと、そしてボランティアの方を通して、人の温かみを痛いほど感じれたこと、この2つだけで十分にここに来た甲斐がありました。
あんなに早く帰りたかったのに、今ではあの10日間は本当に僕にとってかけがえのない大切な思い出になっています。
合宿後の自分には色々な変化がありました。
でもそれらはやがて元に戻ってしまうかもしれないし、このままかもしれない。
「でもそんな事どうでもいいや。」今はそんな心境です。
10日間とても素敵なかけがえのない時間を与えてくれたボランティアのみなさん、一緒に辛い修行を乗り切ったみんな、本当にありがとうございました。
Be happy!
ちなみにサーフィンにまったく変化はありませんでした。
帰りがけによった台東では、波が非常にゆっくりに見えたので、「いけるかも!?」と思ったのですが、自分の動きはそれ以上にスローで、おまけに静かな森で座り続けていたせいか、周りの景色や波に酔ってしまい散々でした。
でも合宿後も、お酒も飲めるし、肉も食べれる自分に感謝!