現代に生き返って欲しい人は? ブログネタ:現代に生き返って欲しい人は? 参加中

おばあちゃん。子供達にとってはひいばあちゃん。
私が中学生のとき両親が離婚して母子家庭になった。
母は働かなければならなくなり、無謀にもスナックを自分で始めた。
当然家事がおろそかになってきて、妹はそのときまだ3歳だったので
おばあちゃんに一緒に住んでもらうことになった。
あのときはたぶん60歳前半という若さだったはずだが、何故か
おばあちゃんはずっとおばあちゃんなんだよな。

もうその頃から耳が遠くて補聴器を持っていた。
おばあちゃんはあんまり補聴器が好きではないらしくて
こっそりつけるふりをして隠していたのを知っている。
つけないと会話にならないから、母に怒られるからなんだ。
でも私はおばあちゃんと大声で会話するのが好きだった。
耳元でどなるように「和食ばっかりじゃ嫌だよ!ハンバーグとか作ってよ!」
「なに~?聞こえないよ」「ハンバーグ!!!」「あ~ハンドバッグ?どこに
おいたかね」とこんな調子。
料理は得意だったはずだけど、とにかく煮物が多かった。
私は育ち盛りだったので肉が食べたくていつも文句ばかり言っていた。
そして渋々作ってくれたハンバーグは真っ黒こげ。こんなの食べられないよーと
押し返したハンバーグを何も言わずゴミ箱に捨てていた。
中学生の私はかなりの反抗期だったと思う。
そして社会人になってからは忙しくてほとんど話すこともなくなった。
おばあちゃんはテレビの音量をものすごい大きくして、隣の人に
文句を言われていた。でも私も忙しくてあんまり気にしてあげられなかった。
結婚して九州へ転勤のため引越し、おばあちゃんとは手紙で話すだけになった。
その後も全国を転々とした私はようやく6年目にして東京に帰ってこられた。
2歳の娘を連れて。

娘とひいばあちゃんの会話は面白い。
全然耳が聞こえてないおばあちゃんと、言葉がかたことの娘は
何故か普通に会話し、楽しそうに笑っていた。ひ孫と遊ぶおばあちゃんは
本当に幸せそうだった。私はやっと時間にも余裕ができ、これからは
たくさん実家に遊びに来ようと思っていた矢先に
肺炎になってあっけなく死んでしまった。
会いたいな、とたまに思う。会ってまた大声で会話したいなと思う。
自分の母とはまた違う懐かしさがある。何にも考えずに
甘えていい存在だったと思う。
もう一度会ってありがとうって言いたいな。