昨日から姪っ子が来ています。



べったりが止まらない男子s(特に1号笑い泣き






女子s♡







今日は311。




震災で感じたことを

被災者じゃないのに語るのはずっとおこがましいと思っていたし、特に、それを文字にする勇気がなかったんだけど

(正確には都内で被災はしたし、当時会社は液状化したりその後の運営が大変だったりはしたけれど)




おこがましいと思う方がおこがましいって今は思うし、


わたしは、わたしが感じたことを書きたい!と今思うので




2019年3月11日の今思うことを書きます。






去年も311については書いてたよ。







今朝感謝ワークで8年前の今日のことを思い出し、

そして8年経った今日湧いてきた感謝はこうでした。(全然関係ないものもあるよ)









②8年前の今日、東日本大震災が起こりました。その事実に感謝します。あの日を機に、「持っていかれる私」と「でも結局私は私を生きることしかできない」ことを知り、思い出しました。今日も私は私を生きます。
ありがとう ありがとう ありがとう。






あの日、それ以降もニュースを見てとてもとても心が痛んだ。苦しくなった。辛かった。ぐらんぐらんに苦しくなった。


それでも、私は他の人と代わってあげられるはずがないことを知った。


そして、結局、わたしには
「私を生きることしかできない」と思った。



だから今日もわたしを精一杯生きる。











④3.11に感謝します。おかげで私は、いかにぼやっと、いかに私の幸せ、他人・他の出来事次第で生きていたか気づいたからです。
ありがとう ありがとう ありがとう♡




リブログした去年の記事にも書いたんだけど
私自身にもあの日から「自分を誤魔化すな!」というメッセージがたくさん来た。




いかに適当に、誤魔化しながら生きてきたか、
痛いほど思い知った。
いかに「幸せ」を外側に設定して被害者になっていたかに気づいた。




そしてわたしは、
わたしは、自分の幸せに責任を持つ
=私の幸せ、私次第
ということを決めた。










⑥8年前の津波に感謝します。あの時私は、死ぬことが終わりじゃないと感じました。かわいそうなことじゃないと思いました。同時に胸もとても痛みました。それでもやっぱり終わりではないと感じました。そう気づき、そしてそうだと信じるきっかけになりました。
ありがとう ありがとう ありがとう♡





災害は厳しい現実ではあるものの、
「いい」「悪い」はない。
「かわいそう」でもない。


「死ぬこと」も同じ。




あの時かすかに感じた、
「命は終わらないのではないか」という感覚が
8年経ってもっと強く「命はなくなるわけではない」って感じてる。

それでも胸は痛む。
でもかわいそうではない。


わたしたちは無くなることなどない。
人の命はそんなちっぽけなものではない。





「もりながみはる」という個に死が訪れても、
「もりながみはる」はなくならない。
やっぱり「なくなる」ことはないんだ。











改めてそう感じた。











だからこそ
この肉体を通してたくさんたくさん表現しよう。
たくさんたくさん感じよう。





毎日を、
生きるために生きよう。
今、精一杯幸せで在ろう。

そして
同時により良い人生を求めよう。








わたしが幸せであることが
誰かの幸せに繋がる。





誰かを幸せにしようとする必要なんてなくて、
ただ、わたしが幸せで在るだけ。








3月11日に
ありがとう ありがとう ありがとう。






8年前魂に戻ったたくさんの命に
ありがとう ありがとう ありがとう。