とっくんと結婚した私はそれまでの浄土真宗から某仏教徒へと鞍替えした。
元々はエホバの証人でいまや無宗教なので、あくまで『家』が受け継いで来た檀家と言う制度の下での話しだが。
今年姑のミッチーを亡くし、さまざまな仏教のイベントをこなさなければならず、それまで適当な認識だった寺と檀家の関係を長男の嫁として迎え撃つため、まずその寺の名前を覚える事から始めた。
○△寺。メモメモ。。。
○△にはさる漢字が入るが、正確に書くと個人が特定される怖れがあるので伏せ字で失礼します。
車で寺に向かい曲がり角で出会う大きな看板の名前を心に書き留める。
で、寺に入ると大きな古い石碑があって、そこにも○△寺と書かれている。
聞き慣れない言葉だったがどうにか○△寺と記憶する。
数日掛けて色々なイベントの打ち合わせをするうちにとっくんが妙な事を言い出す。
寺の名前がネットのホームページでは◎▽寺になっていると。
当然私は寺の看板や石碑の方が古いに決まっているので○△が正解だろうと思った。
とっくんは「どっちが正しいんやろうな〜」とずっと言っていた。
まったくいい加減な話しだ。
立派な寺の名前と言う大事な事が、ホームページで間違われてるなんて。
後日車で寺に向かうと、やっぱり寺の看板も石碑も○△寺になっている。
ホームページの字が間違ってる事を住職に伝えなければ…と思った。
住職は新住職で2年前移って来た人なのだ。
もしかしてホームページなど見ない人なのかもしれないし。
で、住職との面談の折り、ぶしつけだがホームページの漢字の事を質問した。
看板と石碑は○△になってるのですが、ホームページは◎▽になっていますよ、と。
「ええぇっ!本当ですか?」と住職は驚いた。
「どっちが正しいんですか?』と言う私の質問に、
「はい、それはもう、石碑と看板の方で結構です」と文字通りアセアセと答えたのだ。
この時はとっくんも一緒に話し合っていた。
それから数日後寺に行った時だ。
なんと曲がり角の大きな看板が◎▽寺になっている。
つまりホームページの方の漢字に揃っていたのだ。
「なんと!書き直したのか?」夫婦で驚く。
寺に入ると、石碑が無い。
何?証拠隠滅か??夫婦二人で寺の素早過ぎる神対応に驚嘆する。
見回せば石碑が無い代わりに小さな看板がちまちま入り口や屋根の方にかかっていて、全部◎▽寺になっている。
私は気持ちが悪くなる。
住職に看板の件を質問したいのだが、あいにく住職は留守だと言うので住職の奥様に尋ねる。
「看板書き換えましたか?石碑は撤去されたのですか?」
????顔の奥様に詳しいわけを説明すると、奥様は一層????な顔になる。
「ここは昔から◎▽寺ですよ。」
「でも、看板が〜。。。石碑が〜〜。。」
動揺を隠せない私は、広い玄関をサンダルを履いて飛び出し、石碑の方にもう一回走った。
奥様もじいさんについて来て下さった。
「どこに石碑があったとおっしゃるのですか?」
「ここに。そしてここの看板も石碑も○△寺だったのです。」
「…看板は直してませんし、ここに石碑なんて元々無いんですよ。」と奥様。
大事な打ち合わせもそこそこに我々はお寺を立ち去った。
「タヌキに馬鹿されたって、こう言う事か。」
「でも、二人見たよね。今までずーっと○△寺だったよね。」
「うん。それでずっとどっちが正しいんだろうなーって議論して来たんだからね。」
後日ネットで検索すると◎▽寺の『◎▽』は仏教用語で僧なら当然知っているような言葉だった。
なので、看板や石碑が○△はあり得ないのだ。
そもそも○△では仏教用語に存在しないのだ。
なので住職が「看板の方が正しいです。」と言ったのは、もうこの世界ではナンセンスなのだ。
このジャンプは私の人生最大のジャンプだ、今の所。
あったはずの石碑が消え、看板の文字が変わり、それどころか、仏教用語さえ異なる世界なのだ。
不可逆な相違なら小さい事でもそれは大きなジャンプだが、今回の事は大き過ぎる。
本当に正直驚いているのだ。
私達は毎日眠り、毎朝違う世界にジャンプしていると私は思って来た。
また、時に「眠る」と言うジャンプ台的行為無しにジャンプ出来る事も私は体験して来た。
それは一人でいくら言い張っても、何の説得力も無い事かもしれない。
けれど今回、堅物で大真面目で寒いおっさんギャグしか言えない旦那が一緒にジャンプしてくれたおかげで「誰もわかってくれない」と言った寂しさは無かった。
これまでずっと一人この世界に地に足着かない気分で生きて来たのだが、理解者が出来て非常に嬉しいのだ。
次は一緒には飛べないかもしれない。
次に出会うとっくんは、この経験そのものさえ忘れているとっくんかもしれない。
ジャンプによくある話しだが「えー?そんなことあったっけ?」と一笑されるかもしれない。
だが今の所、「あれはスゴかったねー、一体何なんだろうね?」と言ってくれるとっくんだ。
取りあえず今私は、結婚のきずな?何てスゴいんだ、と思っているのだ。