今日という日今日という日は昨日亡くなった人にとっては、またその家族にとってはどうしても生きたかった明日なんだっていうことを毎日、肝に命じて生きていきたいその割には「あー、めんどくせー」とか簡単にいう自分はいつになったらそれらしい、僕の求める僕になれるのだろうか