竹島問題で韓国人がまたもヒートアップしています。
(実際、日本のマスコミがそういうところの映像ばかり
を映すものだから、そう思ってしまうのかもしれませんが、)


6月のドイツの国際会議で
韓国が竹島周辺の日本名の海底地形の名称を
韓国名に変更する(日本海→東海)という動きを見せたため
日本は日韓の互いの主張が重複する海域での
最新の測量データを得るために調査船2隻を出した。


今回の海洋調査と日韓の主張する海域


もちろん韓国側は自分の主張する海域に日本の船が
入るわけで猛反発。


日韓の話し合いの結果、


・日本は調査船での調査を中止
・韓国は国際会議での海底地形の名称変更の提案を中止


することで合意したという。
今回の事件はドローというわけで
本質の竹島領有権の問題は平行線のままだが、
日本海を韓国名の「東海」と変更されるのを
免れたわけで、とりあえずめでたしだ。


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このニュースで竹島問題が話題になっているわけだが、
「竹島」といえば、ニホンアシカが絶滅した場所でもある。
じつにニホンアシカの絶滅は竹島問題に密接な関係がある!


ニホンアシカ  

学名(Zalophus californianus japonicus 

ニホンアシカ

メモ1905年
日露戦争まっただなか。
竹島でアシカ猟がしたいという要望により、
日本政府はアシカの最後の繁殖地である島を
「竹島」と命名し、島根県に編入。実効支配した。

これが竹島がはっきりと日本領になった
始まりだとされる。


その後、ニホンアシカは日本近海に3~5万頭が
生息していたといわれていたが、
隠岐諸島の漁師たちが「竹島」を繁殖の場とするの
ニホンアシカを1万頭以上も乱獲した。
(年間に1300~1400頭が捕らえられた)
肉は不味かったが、毛皮やあぶらが重宝されたからだ。


メモ1935年頃(昭和初期)
ニホンアシカの激減により
年間20~50頭ほどしか捕まえられなくなった。


メモ1946年
日本の敗戦後、
GHQ(連合国総司令部)が決定した
日本漁船の活動可能領域線
「マッカーサーライン」を引かれる。
(日本漁船が活動できる海域に竹島は含まれていない。)


マッカーサーラインと李ライン


メモ1952年
マッカーサーライン廃止直前に
韓国大統領「李承晩」
「李承晩ライン宣言」により、
竹島を韓国領と主張。


この頃には
竹島周辺のニホンアシカは200~500頭が
いることが報告されている。もう絶滅寸前です。


メモ1954年
竹島に韓国警備隊員を常駐。
宿舎、燈台、監視所、アンテナ等が設置され、
年々強化されて竹島は要塞化と化す。

竹島

現在の竹島、手前の島にはヘリポートなどが見られる


メモ1972年
最後の繁殖地を奪われながらも
「竹島」でニホンアシカの繁殖を確認。


メモ1975年
韓国の自然保護団体がニホンアシカを目撃したのを最後に
ニホンアシカが見られなくなり、
その後、絶滅したといわれている。


ということは竹島問題に振り回されたニホンアシカは
日本人の乱獲で生息数が激減し、
韓国人の竹島の要塞化で最後の繁殖地を
追い出され、とどめを刺されたということになる。